「命を捨ててバレーボールするなんて」栗原恵を襲った“脳血栓”…大病の原因は“ピルの副作用”「何万人かに1人というリスクがたまたま…」
病を克服してから2年半もプレー
周囲に支えられ、栗原さんは4カ月後の2017年1月、コートに戻ってきた。 「主治医の先生と、チームと監督のおかげです。チームメートが病室にも会いにきてくれたり、今でも仲が良い佐藤美弥ちゃんとか、『メグさん、いつ帰ってくるんですか』っていつも声をかけくれてモチベーションを保たせてくれました。こんなに素敵な人間関係を築けたことも嬉しかった。若い時は人に弱みを見せるのが怖くて、自分を強く大きく見せようと思って周囲をシャットダウンしていた。でも全部が削ぎ落とされて、代表もない、何もない中で色々な人との関係性を作ることができた。ロンドン五輪で代表落ちしたあの時、引退しなくて本当に良かったと改めて思います」 栗原さんは病を克服してからさらに2年半、プレーを続けた。ラストシーズンを過ごしたのは、アテネ五輪で共にプレーした吉原知子監督が率いるJTマーヴェラス。長年抱えてきた膝の故障の状態も良くなり、チームから強い慰留を受けるなかでの引退決断だった。 「監督のトモさん(吉原知子)から、もう1年どう? という言葉をもらった時に、なんて幸せな選手だったんだろうって感じて余計に未練がなくなったんです。ベテランになると役割も変わって、試合に出られないこともある。切られる恐怖心もありますし、逆に私がいることによって、もう一人若くて勢いのある選手を獲れるかもしれないのにと思うこともあります。でも、自分がまだチームに求めてもらえるんだと感じた時に、救われた気がしたというか、私がここにいても良かったんだという幸せな思いが湧き上がってきました。ありがとうという大きな感謝の思いを抱えてコートを去ることができました」 実は今も大病との“闘いの痕”は残っている。首の後ろの左側、片方の血管は機能していないところがあるのだと栗原さんは明かす。 「映像で見ると血液が通っていないんですが、それでも他の細かい毛細血管が代用して全く問題ない働きをしてくれている。人間ってすごいですよね。出産を控えているので全てしっかり検査をして、お世話になった主治医の先生とも未だにやり取りをさせてもらっています。発症してからもう7年になりますが、現役の時に繋いだご縁に今も助けられている。本当にありがたいなと感じる毎日です」 鮮烈なデビュー、ストイックに自分と向き合った現役生活、怪我や病気との闘いを経て、栗原さんから出てくる言葉はひたすら「感謝」の思いだ。手にした数々の栄光以上に、大好きなバレーボールで繋がった人との縁がいま、その心を温かく満たしているのだろう。 今秋には写真家でモデルのKoukiさんとの結婚を発表し、同時に新しい命も身籠った。 「結婚してもちろん幸せですけど、結婚したから幸せかというとそうじゃなく、ゴールではないですからね。子どもも生まれてきて、新しい家族の形になっていくのでこれからは責任も増えていくと思います」 そう話す栗原さんは、変わらぬ凛々しさの中にしなやかな美しさをまとっていた。 〈全3回/第1回からつづく〉
(「バレーボールPRESS」佐藤春佳 = 文)
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