15万ドルの借金持ちが、150万ドルの資産家へ。ハイチ移民の男性は、いかに10年でFIREを達成したか?(海外)
ローレンス・デルヴァ=ゴンザレス氏とその妻は、15万ドル(約2250万円)の負債があったが、150万ドル(約2億2500万円)の純資産を形成することに成功した。 ハイチ育ちのデルヴァ=ゴンザレス氏は、学生ローンやクレジットカードの負債などで経済的に苦労をしていた。 予算管理、投資、FIRE原則の利用などを通じて、夫妻は10年でミリオネアになった。 ローレンス・デルヴァ=ゴンザレス氏(41歳)は2012年時点で15万ドル(約2250万円、1ドル=150円換算:以下同)の借金があり、年収は2万7000ドル(約405万円)だった。それから10年強が過ぎ、夫妻は150万ドル(約2億2500万円)の純資産を築いた。 ハイチの低所得家庭で育ったデルヴァ=ゴンザレス氏は、学生ローンとクレジットカードの借金が積み重なり、どうすればその穴から抜け出せるのかと頭を悩ませていた。 しかし、予算管理と投資を始めたことで、経済状況が一変した。FIREこと「経済的自立・早期退職」ムーブメントからいくつかの行動原則を採用した同氏は、無駄な買い物をなくし、支出を徹底的に管理し、賃貸物件に投資を行ない、401(k)とIRAを最大限に活用した。高収入な仕事に就いていたわけではないにもかかわらず、夫妻は慎重にポートフォリオを形づくり、旅行を犠牲にしなくても資産を増やせるようになった。 「FIREに関する話題といえば、だいたいはゴールの話だが、一部は始まりに注目している」と、デルヴァ=ゴンザレス氏は言う。「誰もが初めからリッチなわけではないし、私もまったく裕福ではなかった」
始まりは困難だった
デルヴァ=ゴンザレス氏はアメリカ国内で生まれたが、ハイチにいる祖母のもとで育った。彼が育ったポルトープランスでは、ほとんどの人が「ワーキングプア」に分類されるそうだ。彼の祖母も朝の4時に起きて、さまざまな副業をかけもちした。 近所の人は食べ物を分け合っていた。祖母も大きな鍋で料理して、困っている人々に分け与えていた。子供のころはエアコンもきれいな水もなかったし、学校の図書室も本が少ししかなかった。 「そうした小さな事柄から、私はお金を稼ぐことだけでなく、頭の上の屋根や物置の食べ物を確保するために、どうお金を使うべきかを学んだ」とデルヴァ=ゴンザレス氏は語る。 10代になって、母とともにマイアミに移住し、ワンルームのアパートメントで暮らすようになった。母は年収が3万ドル(約450万円)を超えることがなかったそうだ。 「私たちは貧しかった。多くの人が貧しかったことを告白しようとしない理由が、私にはわからない。それが真実なのに」と、デルヴァ=ゴンザレス氏は言う。「朝食も、学校での昼食も、量を減らした。働いてお金を稼いだ16歳になって、初めて自分でテニスシューズを買った」 大学進学を決意し、フロリダ州立大学の学部課程と大学院課程で経営学と会計学を学び、その期間、学生ローンとして11万ドル(約1650万円)を借りた。加えて、海兵隊で7年間を過ごした。借金生活はストレスが耐えがたかったが、アメリカ文化に慣れるのに数年の時間がかかったこともあり、高給の仕事はなかなか得られなかった。 彼は、自分の人種と社会経済的な背景も、いい仕事が見つからなかった原因だと考えている。また、ある金融関係の会社で面接を受けたときには、投資を行なった経験がない者を雇うわけにはいかないとも言われたそうだ。大学を出て最初に得た仕事はファイナンシャルアシスタント職で、税引き前の年収が2万7000ドルだったが、その半分は学生ローンの返済に消えていった。 「私は祖母のことを思い出し、彼女はどうやってやりくりしながら、多くの人に食べ物を分け与えていたのだろう? と考えるようになった」と、デルヴァ=ゴンザレス氏は語る。「私は自分で料理する、贅沢な消費を減らす、意識をもって手元のお金を有効に使うなどといった考え方を実践するようなった」