「私の赤ちゃんを返して!」21歳女性は泣き叫んだ…出産直後に幼児を取り上げた児童相談所の信じられない一言
ベトナム人技能実習生の女性による新生児の死体遺棄事件が後を絶たない。なぜこうしたことが起こるのか。NPO法人として日本に住むベトナム人を支援している僧侶の吉水慈豊さんの新刊『妊娠したら、さようなら 女性差別大国ニッポンで苦しむ技能実習生たち』(集英社インターナショナル)より、ある女性のケースを紹介する――。 【この記事の画像を見る】 ■赤ちゃんを取り上げられて泣き叫ぶベトナム人女性 「私の赤ちゃんを返して!」 グエン・ティ・ハーさん(当時21歳)のことを思い出すとき、真っ先に浮かぶのは泣き叫んでいる姿だ。電話越しでも、初めて会ったときも、その後、何度も顔を合わせるなかでも、彼女はいつも泣いていた。 赤ちゃんを取り上げられてしまった母親として、狼狽し、深く悲しみ、怒り狂い、不安に押しつぶされそうになっていた。 本当は笑顔のよく似合う、とても明るい子なのだと知ったのは、だいぶ経ってからのことだった。 ハーさんは2019年4月に来日して、名古屋市の日本語学校に留学していた。留学生の多くがそうするように、日本語を学んだ後は専門学校に進学するつもりだった。卒業したら技人国の在留資格を取得して、日本で働くことを目標にしていた。ところが、そのスタートを切った矢先に妊娠してしまう。相手は飲食店のアルバイト先で知り合った、21歳の専門学校生B君。日本人だった。
■相手の実家からは結婚を認めてもらえなかった 妊娠を機に、2人は結婚したいと考えた。しかしB君の母親が、若い彼らの決断を許さなかった。ハーさんはB君の自宅まで足を運び、2人で何度も説得を試みたものの、認めてもらうことはできなかった。それどころか、結婚だけでなく出産にも反対され、「Bに子どもを認知させるつもりはない」とまで告げられる。結果、B君と別れてしまう。 お腹の子どもとともに「ノー」を突きつけられてしまったけれども、ハーさんだけは子どもを見捨てることができなかった。やむなく、1人で産もうと決意する。 そんななか、妊娠を知って助けてくれた人もいた。ハーさんが通う日本語学校の教師たちである。日本には、未婚のシングルマザーを対象にした公的手当があることを教えてもらい、アドバイスに従って市役所を訪問し、援助を求めたのだった。 ■子どもは生まれてすぐ児童相談所に連れて行かれた 市役所の職員から説明を受け、何度も窓口に通って出産育児一時金や、ひとり親家庭に支給される児童扶養手当の申請手続きを進めていく。しかし、日本の社会のしくみも、言葉もよくわからないまま、1人で子どもを産もうとしている若い外国人に、市役所職員は不安を覚えたようだ。 特に職員の不安を煽ったのが、手続きに必要な書類のひとつとして提示された預金通帳だった。印字されていた残高は、7万円。どうやらそれが、ハーさんの全所持金のようだった。 裏を返せば、だからこそ公的な支援が必要であり、煩雑な手続きを行っていたわけだけれど、市役所職員から児童相談所に通報されてしまう。それを受けて児童相談所の職員は、ハーさんが暮らすワンルームのアパートを何度か訪問。彼女が生まれてくる赤ちゃんのために、ささやかながらおむつや衣類などを準備していた様子を確認している。 2020年2月中旬、ハーさんは病院で女の子を出産した。そして、満足な育児ができないと判断した児童相談所は、“無断で”赤ちゃんを病院から連れ去り、一時保護してしまう。 気づいたら自分のもとから赤ちゃんがいなくなっていたのだから、ハーさんは産後のだるさを引きずりながらパニックに陥った。 「無断で連れ去った」というのは、あくまでも彼女の主張で、何かしらの断りや通達があったのかもしれない。いや、「あった」と考えるのが普通だろう。いずれにせよたしかなのは、日本語のよくわからないハーさんが理解できるような説明はなされていなかったということだ。