外資IT職から「味噌づくりの伝承者」に 熊本に移住した夫妻の決断
高齢化に後継者不足……。途絶えつつあった熊本県荒尾市の麦味噌作りの技術を受け継ぐ決意をした元外資系IT企業社員の女性がいる。前田優さん(41)。「地域おこし協力隊」として夫の道範さん(39)とともに2016年から同市に住み始めた。当初は地方暮らしや協力隊員の活動に戸惑いもあったが、麦味噌作りのグループと親睦を深め、居場所を見つけた。「縁もゆかりもないんですけど、私を後継者にしていいって言ってくれるようになりました」。地方移住という選択について、同夫妻に聞いた。
地方移住、3・11がきっかけに
東京にある大手外資系IT企業に勤めていた優さんが地方移住を意識したのは、2011年3月の東日本大震災後だ。大きな揺れを感じた後の日々をこう振り返る。 「スーパーに行ってもコンビニに行っても、食料も日用品も、棚からぜーんぶなくなったじゃないですか。あれを見て、なんかすごく怖いなって思ったんですよね。私たちは、自分が食べているものがどうやってできているかとか、そういう過程とは全然別のところにいる。それってなんか、人間としてすごく不自然だなって」
パソコン好きが高じて、IT企業に就職。マーケティング担当として日々の仕事に邁進しており、「仕事に行きたくないと思った日がなかった」程だった。だが東日本大震災後の東京での生活に「地に足がついていない感じ」がしたという。 「世界的にも名前の知れた会社で大好きなパソコンのマーケティングをして、大きな仕事を動かすっていうのにやりがいは感じていたんですけど、それって生活に不可欠なものに密接に関係あるかって考えてみると、そういうわけでもない。自分たちの生活との間で、現実味があんまりないような感じがしてきたんです」
「もっと自由な生き方を」
趣味の音楽を通じて知り合った道範さんも、3・11当時は東京のIT系企業でエンジニアをしていた。道範さんも、震災後の生活に大きな違和感と危機感を抱き、地方への移住を意識したという。道範さんは言う。 「雇われて出勤して、決められた通りに定年して……。私たちの親の世代とかはそうだったし、周りにそうしている人もいるけど。そういう決められたレールの上じゃなくて、もっと自由な生き方がしたかった」 2人は2014年、優さんの出身地の福岡県福岡市へ生活拠点を移し、入籍した。