【今治】岡田武史会長、J2昇格まで10年の歩み…株式51%取得、スタジアム建設×2、高校開校…
<明治安田J3:鳥取-今治>◇10日◇第36節◇Axis 元サッカー日本代表監督の岡田武史氏(68=日本協会副会長)が会長を務めるFC今治が、J2昇格を決めた。敵地でガイナーレ鳥取に勝利。2試合を残して3位カターレ富山との勝ち点差を7以上に広げ、自動昇格圏の2位以内を確定させた。2度のFIFAワールドカップ(W杯)指揮を経て、岡田氏が2014年10月に経営参画してから10年。国内5部相当の四国リーグからJFL、J3と駆け上がり、来季は初のJ2舞台に挑む。(以後、敬称略) 【岡田と今治の10年】 ▼14年 10月18日、四国リーグだった今治の運営会社「今治.夢スポーツ」から株式51%を取得。11月にオーナー就任を発表。 ▼15年 2月に新体制発表。LDHや三菱商事の支援を受け「8年後、今治市に2万人収容の多目的競技場を建設」「10年後にJ1で優勝争いを繰り広げる」などの目標を掲げた。「家内にはあきれられたけど58歳でチャレンジできることは幸せ」。第2次岡田ジャパンのコーチ大木武、元U-17日本代表監督の吉武博文らとチーム改革に着手。四国リーグ優勝も、全国地域リーグ決勝大会は1次リーグ敗退。国内4部相当の日本フットボールリーグ(JFL)昇格を逃す。 ▼16年 岡田がチーフ・メソッド・オフィサー(CMO)も兼ね、独自の指導理論「岡田メソッド」の体系化を図る。かつて指揮した中国スーパーリーグ杭州緑城と業務提携し、海外事業にも進出。Jリーグ百年構想クラブ承認。四国リーグ2連覇。改称された全国地域チャンピオンズリーグで優勝し、JFLに昇格。 ▼17年 チームアドバイザーにラモス瑠偉が就任。約5000人収容の球技専用競技場、ありがとうサービス.夢スタジアムが8月に完成。9月にJ3ライセンスの交付を受けたが、JFL初年度は6位。 ▼18年 JFL5位。シーズン終盤までJ3昇格条件の4位以内に踏みとどまっていたが、残り2戦で勝てず圏外に転落。 ▼19年 監督に元日本協会技術委員長の小野剛が就任。10年FIFAワールドカップ(W杯)南アフリカ大会の日本代表DF駒野友一や、G大阪などで活躍した大阪・天王寺高の後輩MF橋本英郎らが加入。3試合を残してJFL4位以内が確定し、J3昇格。岡田にとっては横浜F・マリノス監督だった06年以来14年ぶりの“Jリーグ”復帰。 ▼20年 スペイン人のリュイス・プラナグマ監督を招請。新型コロナ禍で開幕が6月にずれ込んだ後の7月15日、第4節の讃岐戦でJ初勝利。9月に解除条件付きでJ2ライセンス取得も、J3初年度は7位。 ▼21年 後にJ1神戸の監督となるリュイスも、この年は成績不振で5月に解任。千葉・市立船橋高や松本山雅FCなどで監督を務めた布啓一郎を招く。しかし9月に解任し、アカデミー・メソッドグループ長の橋川和晃が昇格。年間3度の指揮官交代で11位。 ▼22年 現主将のMF三門雄太が大宮アルディージャから加入。10月に正式なJ2ライセンスを交付される。最終順位は5位。 ▼23年 駒野が引退。最大1万5000人収容まで増設できる今治里山スタジアムが1月に完成。FC今治高校里山高を開校し、岡田が学園長に就くと発表。チームは4位。2位鹿児島との勝ち点差は3だった。初のベストイレブンにDF照山颯人とFWマルクス・ビニシウスが選ばれた。 ▼24年 4月にFC今治高校の入学式。5月に命名権契約を結んだ本拠がアシックス里山スタジアムに改称。2試合を残して2位が確定。5年目でJ2昇格。 【木下淳】