しげるは「いやいやえん」を改革せねばならない
本連載は、(基本的に)毎週月曜日に編集Y氏に提出しているのだが、今回は遅れに遅れて11月6日水曜日まで引っ張ってしまった。文化の日の3連休に、昨年末にこの世を去った母の納骨を行い、それに合わせて色々親族まわりでイベントがあったためである。 遅れた結果、この原稿を書いている真っ最中に、米大統領選で共和党ドナルド・トランプ候補が当選確実というニュースを聞くことになった。 今、私は「21世紀は人類史上大荒れの世紀になるのかも」とおびえている。近日中に私の見立てを書くことになるだろう。 が、情報の収集にも分析にも時間が必要だ。今回は別の話題を。 10月14日、作家の中川李枝子さんが亡くなられた。享年89歳。 「なかがわりえこって誰?」という人も、幼年期に間違いなくこの方のお世話になっているはず。『いやいやえん』(1962)、『そらいろのたね』(1964)、『ももいろのきりん』(1965)、『ぐりとぐら』(1967)などの絵本・児童文学の作者である。 60歳を過ぎて年齢と共におぼろに、しかし懐かしさを増す幼少期の記憶を探っていくと、自分は幼稚園の年少組の時に幼稚園の本棚で『いやいやえん』と出合っている。1966年のことだ。ビートルズが来日した年である。 男の子とくまの子が見つめ合う福音館書店版の表紙は、赤を基調とした色使いの鮮烈さで記憶に刻み込まれた。その翌年、1967年に代表作といえる『ぐりとぐら』が出版されているのだが、私は「『ぐりとぐら』という新しい絵本が、幼稚園の本棚にやってきた」ことをしっかりと記憶している。 では、「いやいやえん」や「ぐりとぐら」のお話に夢中になったのかといえば、全くそんなことはなかった。1966年から67年にかけて私の最大の関心事は「ひょっこりひょうたん島」と「ウルトラマン」だったのである。いやいやえんのこぐまよりも、ぐりとぐらの大きなたまごとカステラよりも、ドン・ガバチョやトラヒゲ、ゴモラやレッドキングのほうが脳内の大きな領域を占めていたのだった。 ●57年ぶりの再入園 が、名作というものは、時間をかけてじわじわと人の心に染みこんでいくものだ。いやいやえんも、ぐりとぐらも、その後半世紀を超えて版を重ね、読んだ子どもが大人になって結婚し、生まれた子どもにまた読み聞かせることで、日本語圏における「誰もが知っている、共通の概念」となっていった。特にぐりとぐらはインターネットの普及以降、ネットミームと化し、様々なパロディーも作られるようになり、逆にパロディーからぐりとぐらを知る人が増える、という現象まで起きている。 中川さんは作詞も多数手がけており、特にアニメ映画「となりのトトロ」(宮崎駿監督 1988)のテーマソング「さんぽ」は、末永く歌い継がれることになろう。あるくのだいすき、どんどんいこう。 鉄道マニアに「葬式鉄」という区分がある。鉄道路線の廃線が決まると、「まだ走っているうちに」と押しかけて、写真を撮ったり切符を買ったり全線乗ってみたりする者らのことだ。 読書にも明らかに「葬式読書」と区分すべき衝動があって、作者が死去するとむやみやたらと著作を読みたくなったりする。出版社も心得ていて、著者が亡くなると増刷をすることもある。 ご多分に漏れず、私も中川さんの訃報を聞いて、心地よく父母や祖父母に庇護(ひご)された幼年期の感覚が記憶の底から浮かび上がってきた。その記憶に突き動かされて、地元の図書館から『いやいやえん』を借りてくる。 結婚して子どもができていたのなら、そこで我が子に読み聞かせることで「いやいやえん」に戻って来ることができたのだろう。が、あいにく独身で来てしまったので、今回が実に57年ぶりの、いやいやえん再入園である。