しげるは「いやいやえん」を改革せねばならない
「いやいやえん」が時代を超えて読み継がれる名作となったのは、子どもならだれしも1歳半ぐらいから4歳にかけて通過するイヤイヤ期という時期(諸説あり)をテーマに、そのイヤイヤを全肯定するいやいやえんというアナーキーな保育施設をもってくることで、イヤイヤ期の子どもの心の動きを、子どもも大人も面白いと思うような物語に展開しているからだろう。それまでの6つのお話は、幼児からは世界がどう見えるかという、幼児の主観を中心に展開していくが、「いやいやえん」では一転して、周囲の環境との衝突の側から、幼児の主観を描いているのである。 だが……2024年11月の石破茂首相就任から衆議院解散・総選挙直後の日本で、「いやいやえん」を読むと…… ●中川先生、これって石破首相の…… 赤が嫌いなしげるが、なんでも自由のいやいやえんでひどいめにあって、最後に「あしたになったら、ちゅーりっぷほいくえんにいくんだ」といって家に帰っていく話って、「それなんのアナロジーですか?」状態になってしまうではないか。 今回の選挙で、自由民主党は改選前258議席あったものが、191議席まで議席を減らし、連立相手の公明党も改選前32議席が24議席に後退。自公政権に近いポジションの日本維新の会も44議席から38議席に減少。代わって立憲民主党が改選前98議席から148議席に増やし、国民民主党が7議席から28議席に躍進。れいわ新選組も3議席から9議席に伸ばした。 私の見立てでは、自民党総裁選前の自民党は、問題山積。将棋で言うところの「相手の王を先に詰みにしなくては、自分の王が詰んでしまう」、必至という状態だった。 まず、旧統一教会問題。次に裏金。そして官房機密費の党費への流用問題だ。このあたりは最近繰り返し書いているので、もし具体的な突っ込みどころをお知りになりたければこのあたりをお読みいただきたい(→2024年10月4日掲載「三題噺、総裁選と独裁政権と永井豪」) それらの問題をうやむやにする特効薬として自民党が期待していたのが衆議院の解散・総選挙だった。内閣総理大臣が交代すれば、必ず内閣支持率は上がる。支持率が上がったタイミングで選挙を行えば勝てる。選挙に勝てば、国民の信任を得たという形を作ることができるので、これらの問題をうやむやにできる。実際、過去に自民党は何度も「みそぎ選挙」という手段を使ってきた。 「禊ぎ(みそぎ)」とは、罪やけがれのある者が、川や海の水で体を洗い清めて、「罪やけがれを洗い落とす」ことを言う。そこから日本では、「選挙に勝てば民意を得たことになる」と、選挙戦勝利でそれまでの政治の罪は消えるという考え方が出てきた。 国会図書館ホームページで調べると、「みそぎ選挙」という言葉は1966年12月の「黒い霧解散」からの翌1967年1月の第31回衆議院議員総選挙から使われている。この時は、1966年8月に自民党・田中彰治衆議院議員が国有地払い下げにあたって小佐野賢治・国際興業社主に便宜を図ったとして逮捕され、そこから立て続けに自民党議員の不祥事が発覚し、衆議院解散に至った。選挙では、自民党が議席を減らしたものの安定多数を確保し、当時の佐藤栄作内閣は、求心力を維持している。 「みそぎ選挙」という言葉が一般化したのは、1976年のロッキード事件発覚後、主に政界で「退陣によりみそぎを」「選挙によりみそぎを」という言葉が使われ、1976年12月の第34回衆議院議員総選挙が、「ロッキード選挙」または「みそぎ選挙」と呼ばれてからだ。この選挙では、ロッキード事件に対する批判から自民党が議席を減らし、代わって公明党が大きく議席を増やしている。そう、公明党はかつて護憲を掲げる野党だったのだ。今昔の感に堪えない。 が、実際問題として、選挙に勝っても政治とカルトとの癒着が容認されるわけではない。旧統一教会は、日本国民を洗脳によって搾取し、莫大な利益をあげてきた。その利益の一部が癒着によって自民党支援に回ったわけで、これは普通に考えて許されることではない。 また、裏金は純粋に法律違反であり、法治主義を採用する法治国家の日本としては、法に基づいて対処する必要がある。選挙に勝ったからそれで良しとはならない。「選挙に勝ったからみそぎは済んだ」で不問に付せば、法治国家が崩壊し、日本は近代以前の人治へと後退してしまう。 官房機密費の流用は明白な犯罪なので、選挙に勝とうが負けようが調査を行い、その結果いかんによっては法に基づいて処断しなくてはならない。 これら動きの中で、石破首相は新自由主義(ネオリベラリズム)的な党内の動きにぶつかり、屈し、文字通りの変節を余儀なくされた、と、私は見ている。