辞めたくなった過去も糧にした板金店3代目 端材で生みだしたオリジナル雑貨を世界へ
三重県伊賀市の奥井板金店は建築板金の技術で屋根や樋、外装の工事を手がけています。2代目の父のもとで働く奥井健さん(39)は、家業の仕事に行き詰まって雑貨店のアルバイトを掛け持ちした過去もありました。やがて、手仕事による板金技術のニーズが減りつつあることに危機感を持ち、建築板金や雑貨店の経験を生かした生活雑貨づくりを始めます。アップサイクルを意識し、銅板の端材などを使った皿やコーヒードリップスタンドなどを制作。インスタグラムなどで広がり、2024年にはマレーシアの蔦屋書店で開かれたイベントでも展示されました。 【写真特集】シミ抜き洗剤も積み木もヒット EC戦略に成功した中小企業
端材が遊び道具だった
奥井板金店は奥井さんの祖父が1952年に創業し、2010年から父の勇さんが2代目になりました。母が事務を担い、奥井さんが職人を務める家族経営です。伊賀市周辺で屋根、樋、外壁の工事を手がけ、住宅メーカーなどの下請けもこなします。直近3年間の売り上げは平均7千万円強です。 「じいちゃんは80歳を超えても屋根に上っていました。現在68歳の父もまだまだ現役だと思っています」 奥井さんの幼少期は「家業で出る端材が遊び道具でした」と振り返ります。「作業場の隅に処分する端材が積まれていて、そこから気に入ったものをとっていました」。銅板の端材を自分で曲げたり、たたいて何かを作ったりするのが楽しかったといいます。 地元の工業高校を卒業後、父親の勧めで三重県立津高等技術学校の鈑金科(現:メタルクラフト科)に入りました。「即戦力で家業に戻ってこいという感じで、2年間の寮生活で板金の勉強に専念させてもらいました。建築板金だけでなく、自動車板金、工場板金などの幅広い知識と技術を身に付けたことは強みになっています」 20歳までみっちり板金の基礎を習得。祖父から「自分が生きているうちに入ってほしい」と言われていたこともあり、卒業後すぐに奥井板金店に入りました。
家族に「辞めたい」と告げて
職業訓練校でスキルを身に付け、それなりに自信がありましたが、奥井さんはいざ働きはじめると「何もうまくできませんでした」と言います。 「父からは毎日しかられっぱなしで、つらかったです。日を追うごとに『おもんないなー』って。自分なりに頑張りましたが2年で心が折れ、辞めたいと言いました」 奥井さんはこう続けます。「自分から何かをしたいというより、人の期待に応えたい性格で、求められると多少無理しても応じてしまいます。進路も親の敷いたレールにのってきたけれど、そのころの自分は好きで楽しいと思える仕事をやりたい気持ちが強かったです」 両親に辞めたいと伝えたときには、自分が好きな雑貨店で働く準備をしていました。家族会議になり、祖母だけは「好きなことをしたらええ」と言ってくれましたが、ほかの家族からは猛反対されました。 奥井さんは辞めることは諦めますが「このままではしんどいので、両方やらしてくれ」と訴え、平日は板金店で働き、土日は雑貨店でアルバイトをすることになりました。 二足のわらじで休み無しでしたが、好きな雑貨店で販売や接客に打ち込むのが楽しく、家族以外と接する時間も気分転換になって、家業の仕事も頑張れるようになりました。 そんな生活が3年続き、25歳のときに勤めていた雑貨店が閉店。「このころには板金の仕事にも慣れ、怒られることも減りました。閉店を機に家業に専念しようという気持ちが固まりました」