辞めたくなった過去も糧にした板金店3代目 端材で生みだしたオリジナル雑貨を世界へ
職人の難関資格を取得
創業者の祖父が亡くなったのもこのころでした。「僕はおじいちゃん子だったので、奥井板金店を1日でも長く続けたいという思いが明確になりました」 次の時代の経営を担うため、まずは職人として一流になることを目指しました。 建築板金は年々機械化やデジタル化が進み、祖父の時代から続く手仕事は減りつつあったといいます。奥井板金店も電子制御で鉄板を加工する機械を導入し、手仕事は圧倒的に少なくなりました。 それでも「祖父が大事にしていた職人の手による技術を無くしたくない。自分に自信をつけたい」と、29歳のとき、国家資格の一級建築板金技能士への挑戦を決意します。職業訓練校時代に二級は取得していましたが、一級はさらなる実務経験と専門的知識が必要で、より狭き門となります。 ところが試験の10日前、高速道路を運転中に後続車に追突され、重傷を負いました。試験は年に1度だったため、無理やり退院して受けたものの、ミリ単位の正確性を審査する実技試験もあり、結果は不合格でした。 「合格する自信があっただけに落ち込みました。でも、また1年の時間があるのだから翌年の試験は優秀な成績で合格しよう」と、やる気に火がつきました。 奥井さんは1年後の再試験を優秀な成績で合格し、試験の際につくった作品で三重県知事賞を受賞しました。いつも厳しい父親もこの時ばかりは、賞状を入れる額を買いに行き、すぐに社内に飾ってくれました。 商売にすぐ影響したわけではありません。それでも、資格をとったことで店の信用度があがり、複雑な作業の発注も請けられるようになりました。
アップサイクルでつながった経験
奥井さんは、経営の勉強や家業の課題にも向き合いました。建築板金の技術を使った屋根や外装材はいわば高級品。寺院や木造住宅などニーズが限られるうえに、少子高齢化で新築物件も減る中で、板金技術や素材に関心を持ってもらえる別のプロダクトの必要性を感じていました。 そんなとき、所属している商工会で知ったのが、素材を別の製品に作り替えて付加価値を与えるアップサイクルでした。 アップサイクルの思想は、子どものころ夢中になった端材を使ったものづくり、それまで培った板金技術、雑貨店で働いた経験が全部つながるものでした。 奥井さんは家業で出る廃材や銅板の端材を使い、建築板金の技術を生かして生活雑貨を作れば、アップサイクルになると考えました。自分で販売も担えば、経営の勉強にもなり「楽しみながら取り組めそうだと思いました」。