トレード移籍後に失った立場…元HR王が見せられなかった意地 打率.176も球宴選出に苦悩
ロッテ移籍1年目の宇野勝氏は脇腹を痛めて離脱…復帰後は控えに回った
悩んだ末に出場を決断した。NPB遊撃手のシーズン最多本塁打記録(1985年の41本)保持者の宇野勝氏(野球評論家)は、1992年オフに中日からロッテにトレード移籍した。人気は絶大だった。開幕後に脇腹を痛めてレギュラーの座を失い、前半戦終了時点で打率.176、2本塁打の成績だったが、1993年のオールスターゲームにはファン投票で選出された。「でも、数字を残していなかったし、辞退も考えたんだよ」。背中を押してくれたのは親交ある大物俳優だったという。 【映像】173cm美女の「頭身がバグってる」 ヘソ出し投球にZOZOマリン興奮「ばりかわいい」 “トレードショック”を懸命に振り切って宇野氏は新天地・ロッテでの出直しを誓った。すっかりなじんでいた中日生活に別れを告げて、プロ17年目にして初めてのパ・リーグ。慣れない環境の中、調整に励んだ。「キャンプはアリゾナ(スコッツデール)だったね。伊良部(秀輝投手)とかがいてね。まぁ、どっちにしたって入っちゃったんだから気持ちを切り替えてやった。開幕戦はスタメンでヒットを打ったんだよね……」。 4月10日のオリックスとの開幕戦(グリーンスタジアム神戸)には「5番・遊撃」で出場して4打数1安打だった。だが、その後につまずいた。「脇腹をやっちゃったんだよね」。開幕5試合目の4月16日の西武戦(千葉)に「5番・遊撃」で出て、途中交代して戦列を離れた。「治ったんだけどね……。治った後に戻ったら南渕(時高内野手)をね、(監督の)八木沢(荘六)さんは俺が怪我している間にそっちを使うイメージになっていて……」。 5月中旬に1軍復帰後はレギュラー遊撃手ではなくなった。スタメンもあったが、代打もあったし、最後まで出場せずに終わる試合もあった。それでも与えられたポジションを黙々とこなした。「6番・遊撃」で出た6月17日の日本ハム戦(千葉)では先発の吉田篤史投手が負傷してベンチ裏で治療を受けている間にスタンドのファンを盛り上げようと、マウンドに上がり、日本ハムの6番打者・小川浩一外野手と“対決”したこともあった。 「あれはね、前に俺が経験したことでもあったんだよ。中日の時の横浜戦、横浜スタジアムでね、誰かピッチャーが怪我をして次の打者が俺だった。横浜の連中がマウンドに集まって、高木豊に『宇野、打席に入って打て、いいから打て』みたいなことを言われて……。『じゃあ打つよ』と言ってカーンってレフトにホームランを打ったんだけどね。その覚えがあったから、ロッテの時には俺が投げるから次のバッターに入れって言ったと思う」