トレード移籍後に失った立場…元HR王が見せられなかった意地 打率.176も球宴選出に苦悩
球宴ファン投票で遊撃手部門1位も辞退を熟考「悩んだねぇ」
結果は右翼越えの当たりを許した。宇野氏はマウンドでガックリと膝をついた。「そんなこともやったよね。パフォーマンスでね」。試合での出番は減っても明るい「ウーヤン」はロッテでも健在だった。人気があった。オールスターゲームにパ・リーグ遊撃手部門ファン投票1位で選出された。「セ・リーグから来た宇野を珍しがって投票してくれたんだろうけど、あれは悩んだねぇ。成績を残していなかったから……。辞退しようかなと思った」。 代打がメインの打率1割台で出ていいのか。悩みに悩んだ末に出場を決意したが、これには俳優の奥田瑛二さんの言葉があったという。「奥田瑛二さんは愛知県出身で、たまに銀座とかで会ったりしていたんだよ。それであの時も話を聞いてもらった。『辞退しようかなと思っています』と言ったら『でもね、ウーヤン、はがきに宇野って書いて投函した人もいろいろいるんだから、(打率が)1割だろうが何だろうが出た方がいいよ』って」。 第1戦(7月20日、東京ドーム)は終盤に遊撃守備だけの出場。第2戦(7月21日、神戸)は「9番・遊撃」でスタメン出場し、3回の第1打席で右前打を放ち、交代した。「第2戦でヒットを打ってホームに還ってきて(パ・リーグ監督の西武の)森(祇晶)さんに『ウーヤン、(日本ハム内野手の)広瀬(哲朗)が初めてのオールスターでまだヒットも打ってないから(交代で)いいか』と聞かれて『ああ、全然いいですよ』と言ってそのまま風呂に行った」。 そこには第2戦に先発して2回を投げて交代した近鉄・野茂英雄投手がいたという。「野茂に『宇野さん、終わりですか』って言われて『うん、終わり終わり』と言って、一緒に風呂に入った覚えがある。あの時ね、カミさんと子どもとかが球場に来たんだけど『道が混んでいて着いたら、もうお父さんは出ていなかった』って。もう風呂に入っていたんだけどね」。奥田瑛二さんの“後押し”のおかげで、そんな球宴の思い出もできたわけだ。 しかしながら、シーズン後半戦も宇野氏の立場が変わることはなかった。「代打でもいいやと思ってやっていたんだけどね。ゲーム終盤に大事な場面があって、ここで出番だと思ったら、出るのは他のヤツ。えっ、ここでもないんだっていうのが重なって、だんだん気持ちが切れていく感覚があった……」。1993年のロッテ1年目は59試合、打率.181、3本塁打、9打点。巻き返したくても巻き返せなかった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi