スターダム鈴季すずがはじめて地元・宮崎へ。否定的な声を打ち消した、念願の故郷凱旋試合!
「ホームシック?ありましたよ。入団して最初の1週間の時点で、どうやって逃げようかと考えてましたから」
鈴季は宮崎県小林市の出身。小林市は宮崎市の西、車で約40分のところに位置しているという。もちろん、中学を卒業したばかりの少女がそう頻繁に東京と地元を往来できるわけもなく、一大決心との想像はできる。が、いざ東京に出てきてみると、想像以上の寂しさ、後悔に苛まれたという。 「ホームシック? ありましたよ。入団して最初の1週間の時点で、どうやって逃げようかと考えてましたから。でも、お金もないし、宮崎までは飛行機乗らないと帰れないし、飛行機の乗り方わからないし…ってことで帰れなかったですね。遠いから逆に帰れないんですよ。帰れないと思ったから、これだけ続いたんじゃないですかね(苦笑)。近かったら、すぐにやめてました。たぶん3日でやめてた。なので、宮崎が東京まで遠くてよかったと思います(笑)」 帰るに帰れなかった鈴季。もう腹を括るしかなかったのだ。帰れないからこそ、デスマッチで生きていこうと決められた。さらに、プロレス界の顔になってやるとの決意も生まれた。ここ数年は宮崎に帰る機会もあるというものの、デビュー前の逃げ帰るとの気持ちとはまったく異なるのだ。 そんななかで、帰省ではなく、試合をしたいとの思いがどんどん大きくなっていった。口に出さなければ何も始まらないと考えたのだろう。スターダム入団当初から、宮崎で試合をしたいとの話もするようになっていったという。 「所属になってから『宮崎の試合、お願いします、お願いします』って(団体に)言ってきました。というのも、スターダムってけっこう選手の凱旋試合やるじゃないですか。それを見るたびにうらやましかったんですよね」 そして決まった、宮崎凱旋興行。正式決定の話がきたのは、9月末くらいだったという。 「けっこう近くまで(開催日が)きていたので驚きました。その前までは、選手間の噂レベルではあったんですよね。やるの、やらないの、みたいな。それで、ホントにやりますって話を聞いて、そこから地元での宣伝活動もやることになりました」 鈴季は試合の合間を縫って帰省、小林市の宮原義久市長への表敬訪問をはじめ母校の小林市立野尻中学校も訪れた。また、UMKテレビ宮崎の情報番組『4時どき!』に生出演。スターダムの宮崎初上陸とプロレスラー鈴季すずの初凱旋をPRしたのである。 そのかいあって、会場のUMKスポーツスタジオには420人(超満員札止め=主催者発表)の観衆が集まった。タッグリーグ戦の真っ最中とあって大会では公式戦も組まれ、鈴季にはメインイベントでAZMとシングルマッチというスペシャルなカードが組まれていた。ネオジェネシスの同門対決であるとともに、意外にも初の一騎打ち。こういった機会でもない限り、なかなかお目にかかれないであろう特別なカードである。