ポール・オースターの名言「けれどオニオンパイの味は…」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。先の2024年4月に77歳で亡くなったポール・オースター。「ニューヨーク三部作」などで知られる、現代アメリカ文学を代表する作家のひとりだ。作品でもたびたび描かれた偶然のマジックは実生活に根付いたものでした。 【フォトギャラリーを見る】 けれどオニオンパイの味はずっと忘れていない。 『トゥルーストーリーズ』に収められたエッセイ「その日暮らし」によれば、若き日のポール・オースターはとにかく金がなかった。「欲しくもなく必要でもない金を稼ぐなんて時間の無駄だと思っていた」「私としてはとにかく、自分がなしとげうると思える仕事をなしとげる機会が欲しいだけだった」。そう語るように、アルバイトはいくつかこなしてきたが、定職を持ちつつ創作に励むつもりはなかったのだ。だから、79年に父が亡くなり遺産が入ったことで彼の人生は大きく変わったことはよく知られている。以後、「ニューヨーク三部作」をはじめとする充実した執筆活動を亡くなるまで続けた。 「けれどオニオンパイの味はずっと忘れていない。」という一節は、その貧乏時代のエピソードのひとつ。73年、26歳になる年の約1年間を南フランス山中にある屋敷で管理人として過ごした。そこは家賃不要で、50ドルの給料も出るし、辺りはブドウ園や林に囲まれている。翻訳や執筆にはうってつけの環境だった。だが、翻訳仕事の給料の支払いが滞り、その上多額の手数料が引かれ、次第に「相当な苦境に追い込まれる」ことに。空腹をしのぐべく、残っている食料でなんとか拵えたのがオニオンパイだ。 だから、当然美味しかったのではない。むしろ、中は十分に火が通っておらず、真ん中は冷たすぎて食べられないほどの代物だった。その上、再びオーブンに入れると真っ黒に焦がしてしまう。だが、そのときに「本物の奇跡」が起きる。つまり、突如友人がこの屋敷へやってきてレストランでもてなしてくれたのだ。この食事の詳細は覚えていない「けれどオニオンパイの味はずっと忘れていない。」というわけだ。 この嘘みたいな話はちょうど彼が描く物語のようでもある。でも、正真正銘の本当の話。当時この屋敷でともに過ごした作家リディア・デイヴィスが同様のエピソードを残している。岸本佐知子/訳『ほとんど記憶のない女』のなかの一編「サン・マルタン」がそれだ。友人が現れた瞬間を「奇跡のように、天使のように」と綴っている。双方の語りの細部こそ違っているが、そこもまた味わいどころだ。