高校生で野球選手の夢に挫折…小島よしおが「大学中退」に反対した母に感謝する理由
大学2年生にして、お笑い事務所に!
では、お笑い芸人を志したのはいつ頃からだったのだろう。 「野球チームの中でも、合宿で見せ物を出したり、文化祭で漫談をしたり、司会をしたり……、とにかく目立ちたがり屋でしたね」と小島さん。とにかく小さな頃から人を楽しませることが好きで、高校でも中心的な存在だった。 「実は、芸能人みたいなものにはずっと憧れがあって、大学受験を目指す前に何度か、オーディションを受けに行ったことがあるんです。タレント養成所みたいなところで……、今考えると『授業料を払えば所属できますよ』という感じの事務所でしたが。いくつか受かったのですが、母親に『うちにそんなお金はない』と一蹴されて断念しました」 高校の頃から、やってみたいことリストの中に芸能界は入っていたということだろう。 無事、浪人生活を終えて早稲田大学に入学した小島さん。ちなみに早稲田大学は教育学部と商学部に合格したが、教育学部を選択したのは、「同じ学部に広末涼子さんがいたから、会えるかもしれないと思って」という理由から。 それはさておき、大学入学後、運命を変えるお笑いサークルと出会うことになる。 「新入生歓迎の花見にいくつか参加して、その中にお笑いサークルがあったんです。当時はなぜか『自分は大学のサークルなんかじゃなくて、事務所を探すんだ』という謎の意気込みがあって、あまり期待していなかったんですけれど(笑)。でも、WAGE(ワゲ、早稲田アカデミックギャグエッセンスの略)のお笑いライブを見たらめちゃくちゃ面白くて、一緒にやりたいと。当時からすごく人気もありましたし、ここだ、と思ったんです」 WAGEは、1990年代半ばのお笑いサークル創成期に誕生した、早稲田大学のお笑いサークル。主要メンバーが在学中に事務所に所属し、テレビ出演をするなどの人気を誇った伝説のサークルだ。現在まで続く大学お笑いサークル文化は、WAGEの存在があったからと言っても過言ではないだろう。 「WAGEで、う大さん(かもめんたる・岩崎う大)たちとの出会いがあって、みんなと楽しい方向に進んでいったら、お笑いの大会があって、そこで評価されて、結果としてアミューズという芸能事務所に所属することになったんです。他のメンバーが面白かったから、自分はラッキーだったなと思います」 大学2年生でお笑いの道に入ることになり、一時は大学を辞めようと考える。 「喫茶店に父と母を呼び出して、芸人の道へ進みたいと話をしたら、特に母親にすごく反対されましたね。僕の父も早稲田大学出身なんですが、政治の道に進んで選挙に挑戦して結局全部落ちて、母親はとっても苦労していたので、『いい大学に入ったのに、またよしおも同じ道なのか……』みたいな。 一方で父は、自分が好き勝手してきた人なので、『お笑い、いいんじゃない?』みたいな感じでしたけど。あとは、当時の好きな人から止められた、というのも大きかったかな(笑)。いずれにしても、あの時に母親と好きな子の言うことを聞いて、大学を辞めずにいてよかったなと思いますね」 事務所に所属し、給料をもらいながら大学に通った小島さん。きちんと大学も卒業した。その後、WAGEは解散することになるが、ピン芸人として売れ始めるのも早かった。 「その時の環境でやらなければいけないことを、全力でやってきただけ」と小島さんは謙遜するが、目の前のことに全力を出せる、ということこそが才能なのだろう。 2007年には、「そんなの関係ねぇ!」「おっぱっぴー」のギャグでブレイクし、流行語大賞にノミネート。しかし、ずっと順風満帆だったのかと言ったら、そうでもなかった。裸に海パン1枚でギャグを発するという芸風から「親が子どもに見せたくない芸人」として認識されていた時代もある。 本格的に子ども向けの活動を始めたのは、2011年頃から。 後編【「親が子どもに見せたくない芸人」から一転、小島よしおが語る大きな転換期】では、お笑い芸人としての大ブレイク後、スランプを経験した小島さんが、キッズ芸人として知られるようになったお話。また、現代の子どもたちと向き合いながら感じていることをお伝えする。
遠藤 るりこ