高校生で野球選手の夢に挫折…小島よしおが「大学中退」に反対した母に感謝する理由
グローブをペンに持ち替え受験勉強スタート
高校3年生で、ひとまず順当に受験生となった小島少年。「野球ばっかりしていたので、成績は本当に悪かった」と苦笑い。 「小中学生の頃は、進研ゼミや公文も真面目に取り組んでいたし、授業にも積極的に参加する子どもだったんです。中学のテストは、一夜漬けでなんとか切り抜けてられていた。でも、高校からガクンと成績が落ちましたね。野球部の友達がこぞって成績悪いのばっかりだったから(笑)。小学生の時は算数が得意で、中学では社会や国語が好きだったのですが、高校からは特に好きな科目もなくなってしまって」 プロ野球選手になるという夢を諦め、勉強も苦手だった。それでも大学を目指したのは、母親からの強い願いがあったからだという。 「就職をしようかなと思ったこともあったけれど、母親に『大学はちゃんと行ってくれ』と懇願されて。僕自身は大学進学にあんまりピンときていなかったんですけれど、『大学に行ったら、車の頭金を出してあげるから』って言われたんで、じゃあやってみるか、と(笑)。高3の時点で学力が全然足りていなかったので、浪人してめちゃくちゃ頑張りました」 小島さんのすごいところは、思考の切り替えのスピードと、その学習法。目標を定めたら、あとはそれに向かって走るのみだった。 「浪人したはいいけど、うちはお金がなかったんです。だから、予備校はコースでの受講ではなくて、単科の講座を1つだけ取って自習室を自由に使えるようにして、参考書も自分で選んで買ってきて……。毎日、スケジュールを組んで机に座って、とにかく目の前の課題をこなしていきました」 野球の辛い練習を乗り越えてきた忍耐力と精神力で、受験勉強にも立ち向かった。 「野球と受験、ジャンルは違いますよね。でも、野球の自主練と受験勉強の自習をやり切ることは、根っこで繋がっていたのかもしれないなと思います。僕はピッチャーだったんですが、練習のメニューの組み立ては基本、本人に任されていたんです。毎日やるべきメニューというのは決まっていて、それを自分たちで考えて組み立てていく。週6日、月曜だけ休みで、ほぼ毎日のように自分で考えた練習をこなしていたんです」 受験勉強を走り抜く体力と、自分でやるべきことを組み立てる能力は、間違いなく野球で培われたものだろう。 「あとは、コーチがメンタル的なものをしっかりと叩き込んでくれたことも大きい。僕たち野球部員は常にメモ帳を持っていて、ミーティングでも練習でも、何かあればすぐにメモを取っていた。一人一冊『野球部日誌』というものもあって、それを毎日コーチに提出する部活だったんです。そういった取り組みがあったから、思考力も鍛えられた気がします」 高校の野球部のコーチとは、今でも連絡を取り、年に一度は食事をする関係が続いている。 「コーチは、僕の中で本当に大きな存在。人間学の月刊誌『致知』も、コーチのおすすめで今も定期購読しています。人生の師と呼べる人の一人ですね」