「生きる」ための料理が母と僕とのコミュニケーション(山田宗宏さん「母と僕をつないだ料理」(1)【助け合って。介護のある日常】
「生きる」ための料理が母と僕とのコミュニケーション。
瀬戸内海に浮かぶ淡路島。一年を通してあたたかく、過ごしやすいこの島に、山田宗宏さんの実家がある。山田さんはリビングの陽だまりの一等地に母親の素枝子(そえこ)さんのベッドを置いて、丸5年の間、認知症だった素枝子さんの介護をした。 「以前、その場所には父のベッドも並び、母が父の介護をしていました。父が肺炎で亡くなってから母はすっかりお洒落をしなくなり、2年経ったくらいから認知症の症状が出てきて。その様子を見て、夫婦ってセットなんだなって」
実家は商店街で化粧品や薬品などを販売する商売をしていた。いつでも一緒の2人は、息子の山田さんから見ても恋人のようだったという。 一方、山田さんにとって素枝子さんは、意見がぶつかる相手で少し苦手な存在。父の収男(かずお)さん同様、絵を描くのが好きで穏やかな性格の山田さんとは性格的に合わず、衝突することも多かった。そんな素枝子さんの介護をするために、東京から淡路島にほぼ移住する形で住むようになったのは2019年からだ。 「最初は姉と妹と3人でローテーションを組み、交代で様子を見に行っていました。認知症が進んでしまい、誰かがそばにいないと、母が倒れても誰も気づかない状態になったので、自由業の僕が淡路島で暮らすことを決めました」
決めたはいいが、さあ、どうしよう。上京してから約40年ぶりに母親との2人暮らし。山田さんが素枝子さんとのコミュニケーション手段として選んだのは、料理だった。 料理を毎日きちんと作るのは初めての経験だったが、料理中は無心になれたし、おいしいものを食べると自分も元気になった。最初は見よう見まねで、和洋中エスニックと、いろいろな料理に挑戦。栄養はもちろん、食欲がわくように見た目も意識し、棚の中から器を発掘して、さまざまな器に色とりどりに盛りつけた。自分が作った料理で、素枝子さんは時々うれしそうな顔をし、それを見た山田さんも自然と笑顔になった。 「会話は多くなかったけれど、毎日毎食、食卓で顔を合わせる。メインの部分はヘルパーさんたちにサポートしてもらいましたが、料理だけは自分が最後まで担当できてよかったと思っています」(続く)