没個性の品ぞろえをやめて売り上げ10倍 大手生保から転身した神保町の履物店5代目が広げた間口
コンセプト外の履物をそぎ落とす
商品構成を固めるなかで、粛々と進めていったのが大胆なダイエットです。 「所狭しと並べられた履物はよくいえば豊かですが、これからの時代にはそぐわない。コンセプトからはみ出すものはちゅうちょなくそぎ落とす。そうして店の輪郭を浮かび上がらせる。そのことだけに腐心しました。飯の種だったシューズやスリッパはもちろん、安価なビニール素材の雪駄も取り扱いをやめました」 特筆すべきもうひとつは、古き良き履物ながらモダンな風情を獲得していることです。よほどラインアップに工夫を凝らしているのかと思いきや、「もちろん同じ柄でも色使いでモダンを意識することはありますが、その多くは日本伝統の柄です」。 いわれてみればなるほどその柄は見覚えのあるものばかり。見せ方ひとつでこんなに印象が変わるものかと驚かされましたが、それもこれも、もとよりそなえているポテンシャルがあってこそ、なのでしょう。 これからの専門店にふさわしい店構えであり、品ぞろえですが、船曵さんにいわせればその立ち位置はあくまでエントリーモデルならぬ、「エントリーショップ」だそうです。 「脈々と受け継がれてきた技や知見。この点で下駄一本でやってきた老舗にはかないません。しかし、彼らと差別化できれば生き残る道はあると踏んだ。それが和装履物のエントリーショップというスタイルだったのです」
ギャラリー化で広げた間口
間口を広げるアイデアが、店の半分をぜいたくに使ったギャラリーでした。 白壁をバックに、天井からつるされた手ぬぐい。その光景はギャラリーの名に恥じないものであり、ついのぞきたくなる誘惑に駆られます。 店づくりにあたっては背が低く、強度のある陳列棚をしつらえました。イベント時に来店客が座ることができるようにしたのです。 そこには義叔母の充子さんをはじめ、優れた作家を紹介する場をつくりたいという思いもありました。 充子さんは東京芸大卒業後、江戸型染めの西耕三郎さんに弟子入りし、1997年に「小倉染色図案工房」を立ち上げました。リニューアル前にも彼女の作品を展示していたそうですが、いかんせん、その店内は足の踏み場もなかったため、せっかくの作品もまったく映えなかったそうです。 ギャラリーはただ間口を広げるだけでなく、来店促進のエンジンとすることも狙っています。「開店景気は遅かれ早かれ終わりがくるものです。足しげく通いたくなるような効果も期待していました」 リニューアルオープンした月に開催した小倉染色図案工房、工房カモ、新江戸染丸久商店という三つの工房が集った「大和屋でゆかた展」を皮切りに、しばらくはほとんど毎週のように作家を招きました。 「あのころはアドレナリンが出ていたとしかいいようがありません。同じことをやれ、といわれてももう無理です」 声をかける作家の条件は「文化を継なぐ」誇りがあり、手仕事を重んじていること。これらを満たせば必ずしも和装である必要はありません。過去にはチェコのビーズ作家のチョーカー展も行いました。 現在でも年20回はイベントを打っています。近ごろは江戸小唄や落語など物販にとどまらない文化的アプローチにも乗り出しています。