読者の中学受験「失敗」体験記(2)「あの悔しさが大人になった今、生きている」
読者のみなさまから体験談を募集し、記事にまとめて紹介する「読者ミーティング」。今回のテーマ「中学受験『失敗』体験記」には、多くの皆さまから体験談をお寄せいただきました。第2弾として「失敗」を今どう生かしているのか、受験から時間が経過した方のエピソード五つをご紹介します。
受験シーズンが終わると世に出てくるのは、塾や予備校の合格実績と合格体験記ですが、本当の意味で学ぶことが多いのは成功話よりも失敗話ではないでしょうか。併願校の選択、合否が分かった後の対応、そもそもわが子に本当に合った学校とは……。あのとき、こうすればよかった。当時は失敗したけれど、今はその体験がこんな形で生きている、などなど、中学受験にまつわる失敗エピソードを寄せていただきました。 今回はその中から、「失敗」をその後どう生かしたのか、受験から時間が経過した方のエピソードを五つご紹介します。 (1)あれから10年 同じ思いをさせたくないと塾講師になった私(20代、国語講師) (2)受け身であったとしても 悔しさはバネになると実感(50代、洛南高から京都大学へ進学) (3)親子二人三脚はいつまで 答えは自分で決めるしかない(中学3年生の娘の母) (4)娘が楽しく通える学校は確かにあった 自分の目でよく見てほしい(大学生の娘の父) (5)母親の私が動転 主役の子どもの意志、尊重して(大学生の息子の母)
あれから10年、同じ思いをさせたくないと塾講師になった私(神奈川県、20代女性)
10年少し前になりますが、中学受験を経験しました。 当時の私は塾が大好き。「熱望する中学校への合格のため!」と言いつつも、塾で個性豊かな先生たちの授業を受けながら、友人たちと切磋琢磨することを何よりも楽しんでいました。 精神的にまだ幼かったこともあり、「苦手教科はやりたくない。基本の勉強や暗記なんてつまらない」と逃げ続け、大好きな物語の長文読解や国語の知識、歴史の勉強ばかりに時間を使っていたことを覚えています。 最も苦手だったのは算数、次いで理科の物理計算でした。算数の先生にいくら怒られて怖い思いをしても、理科の先生に呆れられても、基礎の勉強からはずっと逃げ続けていました。 自分の愚かさに気づいたのは6年の秋、志望校別の授業が始まったときでした。 面白いくらい解けなかったのです。しかも何度やっても。テキストで見たことがあるはずの典型題が理解できていれば、さほど難しくないはずの問題ですら、歯がたちませんでした。 もちろんはじめから合格点など取れなくて当たり前です。でも、10月、11月と進んでいっても何も改善は見られず、クラスでダントツのビリという立ち位置が固定となりました。 その頃になっても私は変なプライドが邪魔をして「今から基本なんてやりたくない」などと言っていました。冬になってやっと焦り始め、基本に立ち返るようになりましたが、時すでに遅し。 結果はご想像の通りです。第1志望は惨敗、第2志望も届かず、直前に受験を決めた第3志望にやっとの思いで合格して受験生活が終わりました。親と第1志望の学校へ行き、合格発表の掲示板に番号がなかったときの絶望、息苦しさ。周囲の「受かった!」という喜びの声を聞きながら号泣して帰路についたその光景は、26歳となった今でも鮮明に覚えています。 あれから10年以上経ちました。縁あって、今の私は、当時通っていた塾に国語講師として勤めています。あの時の私と同じ思いをする受験生が一人でも減るように、ときには自分の体験談も話し、とにかく基礎の典型題を完璧に固めるのを徹底させることを厳しく指導しているので、生徒からしたらうっとうしい存在でしょう。それでも、それを乗り越えた生徒はしっかり合格を勝ち取ってきます。その度に、過去の自分が救われたように感じ、この経験は無駄じゃなかったと思えます。これからも基礎に厳しい講師として、ひとりでも泣く子どもが減るように尽力していきます。