人類の祖先は「殺しも略奪もいとわないギャング」…「敵対」や「暴力」は人類に特異的な「協調」と表裏一体だった
人種差別、経済格差、ジェンダーの不平等、不適切な発言への社会的制裁…。 世界ではいま、モラルに関する論争が過熱している。「遠い国のかわいそうな人たち」には限りなく優しいのに、ちょっと目立つ身近な他者は徹底的に叩き、モラルに反する著名人を厳しく罰する私たち。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ…」母の再婚相手から性的虐待を受けた女性が絶句 この分断が進む世界で、私たちはどのように「正しさ」と向き合うべきか? オランダ・ユトレヒト大学准教授であるハンノ・ザウアーが、歴史、進化生物学、統計学などのエビデンスを交えながら「善と悪」の本質をあぶりだす話題作『MORAL 善悪と道徳の人類史』(長谷川圭訳)が、日本でも刊行される。同書より、内容を一部抜粋・再編集してお届けする。 長谷川圭 高知大学卒業。ドイツ・イエナ大学修士課程修了(ドイツ語・英語の文法理論を専攻)。同大学講師を経て、翻訳家および日本語教師として独立。訳書に『10%起業』『邪悪に堕ちたGAFA』(以上、日経BP)、『GEのリーダーシップ』(光文社)、『ポール・ゲティの大富豪になる方法』(パンローリング)、『ラディカル・プロダクト・シンキング』(翔泳社)などがある。 『MORAL 善悪と道徳の人類史』 連載第8回 『なぜ人類だけが特異的な「協調性」を手に入れられたのか…決定的な出来事は「自然環境の変化」だった』より続く
共同体が大きくなりすぎると…
進化的に適応した環境で、人類は小さな集団を形成して暮らしていた。進化人類学では、「ダンバー数」という考え方が重視される。イギリス人進化心理学者のロビン・ダンバーは霊長類の大脳新皮質の大きさと、集団のメンバーの最大数とが相関していることを証明した。集団が大きくなるほどメンバー同士の関係の形も複雑になり、脳の情報処理システムに負担となるからだ。 個人は誰が信用できるかを見極め、社会内の評判につねに耳を傾ける必要があった。そうしなければ、誰がよき友で、誰がよき教師なのか、あるいはその両方なのか、狩りや料理や獲物の追跡が得意なのは誰なのか、あるいは誰が誰をいつ、どのぐらい侮辱したか、わからないからだ。 私たちには協調的な関係を永続的に強く保つためのツールがないため、共同体は規模が大きくなっていくと、しだいに不安定になる。ダンバーは、人間の集団の場合、大脳の平均サイズから計算して、集団の自然な大きさは150人が限度だと主張した。この数字は、部族集落から軍組織の部隊構成にいたるまで、あらゆる文脈で確認できる。 俗な言い方をすれば、バーで気兼ねなくいっしょにグラスを傾けられるのは、最高でも150人までなのだ。だが人間社会には、150人よりもはるかに大人数を統合する特殊な能力もある。しかし、それが可能になったのはあくまで最近のことで、そのためにはより大きな集団の形成を協調的にコントロールする制度的枠組みがなくてはならない。自発的に発生した集団は、数による負担が強くなれば分裂する。 小さな集団で生きるように適応してきた人類の祖先は、永続的な(少なくとも潜在的な)矛盾を抱えていた。一方では、予測不可能な環境下での進化の過程において、私たちはわずかな天然資源をめぐって激しい衝突を繰り返してきた。だからといって、トマス・ホッブズが主張したように、人間こそが人間にとってのオオカミだ、とまで言えるかどうかはわからない。 しかし、人間の集団がかなり敵対的な関係を築いていたということは、考古学データの解析を通じてはっきりと証明されている。狩猟と採集のために各地を転々としていた集団の多くでは、「自然死」つまり近隣集団のメンバーによる暴力が原因ではない死という概念はほとんど存在しなかったと考えられているほどだ。
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