人類の祖先は「殺しも略奪もいとわないギャング」…「敵対」や「暴力」は人類に特異的な「協調」と表裏一体だった
殺人も厭わないギャング
先史時代の集団では、集団同士の出会いのほとんどが暴力に発展したと考えられるが、これは意外なことではない。進化論的には、縄張り争いや資源をめぐる衝突が起こるのは理にかなっている。集団間の争いこそが、協調的な関係を選択する圧力を高めるからだ。 集団の成功が個人の生存の前提になる環境では、集団のために利他的な行動をとるほうが有利になる。他集団に対する戦いを利他的な協調の例とすることに抵抗を感じる人は多いだろうが、理屈としては間違っていない。協力して戦うということは、自分の利益よりも共通の目的を優先することであり、つまりは協調という選択肢を選ぶ行為なのだ。戦争に勝つためなら、個人の働きはたいした問題ではない。 だが、戦いへの参加を拒んだ者も、勝利の果実にありつくことはできる。この意味で、戦いは集団行動が抱える典型的な問題点を露呈する。戦いが道徳的に“よい”目的のために行われるかどうかは、重要ではない。協力とは、たとえ卑しい目的のために行われるとしても、人間の道徳基盤の中核をなす。 偶然の遭遇だけが暴力のきっかけになったわけではない。敵対する集団相手に計画的な襲撃も行われた。どちらの暴力も、先述した不安定な気候によってさらに促されることになった。集団移動が頻繁に行われたため、かつては孤立していた集団同士が接触する機会が増えたからだ。現存する先住民族の民族学的調査でも、同じ結果が得られた。私たちの祖先は、集団内部では家族思いの平和主義者で、集団の外に向けては殺しも略奪もいとわないギャングだった。 人類が適応進化した場所や時間は特定できない。世界地図で丸く囲んだり、年表に書き込んだりできるものではない。進化の過去とは、人類の発達に有益な選択圧力をかける自然および社会条件をすべてひっくるめた総称だ。人間のモラルを理解するためには、この選択の歴史を理解しなければならない。 『ヒトに“心臓”がある理由を知っていますか?ノープランで進行する“自然選択”によって決定づけられた人類の「進化」』へ続く
ハンノ・ザウアー、長谷川 圭
【関連記事】
- 【つづきを読む】ヒトに“心臓”がある理由を知っていますか?ノープランで進行する“自然選択”によって決定づけられた人類の「進化」
- 【前回の記事を読む】なぜ人類だけが特異的な「協調性」を手に入れられたのか…決定的な出来事は「自然環境の変化」だった
- 【はじめから読む】ニーチェ『道徳の系譜学』では明らかにされなかった人類の“道徳的価値観”の起源…気鋭の哲学者が学際的アプローチで「人類500万年の謎」に挑む!
- 進化心理学が明らかにする「人類が現代社会で幸せになれない理由」…どうして私たちは過剰に“砂糖”を摂取してしまうのか
- 人類はなぜ“ガン”から逃れることができないのか…非情なる「適者生存」のプロセスに従うしかない「進化」の過程