祖父とマンツーマンで工程をデータ化 町工場がアップデートした鋳造技術が東京スカイツリーにも
鋳造メーカーの東日本金属(東京都墨田区)は創業100年超で、旧岩崎邸庭園などの歴史的建造物や東京スカイツリーに使われる鋳物の製造で知られています。4代目候補で常務の小林亮太さん(43)は祖父のマンツーマン指導を受けながら、工程のデータ化に取り組み、難度の高い製品の開拓に乗り出しました。後継ぎとして採用に注力したり、伝統技術と最新マシンを組み合わせた新工場を開いたりするなど、伝統の鋳造技術をアップデートしながら、受注額を伸ばしています。 【写真特集】下請けだけじゃない 中小企業の技術がつまった独自製品
次代につなぐ工場を竣工
「作業に励む祖父の横顔は、家で接するそれとはまるで違いました。一言でいえば、とてもいい顔をしていた。その生き様を含めて、継いでいきたいと思います」 小林さんは2017年、本社のすぐ近くに「鋳交(ちゅうこう)ファクトリー」と名づけた工場を竣工しました。マシニング(切削)の工程を担う工場で、協力工場から「マシンを導入すればノウハウも客も引き継ぐ」といわれ、踏み切りました。 一般にマシンと聞けば大量生産を想像しがちですが、その布石ではありません。あくまでハンド(手仕事)の代替としてのマシンであり、職人不足が深刻な業界にあって当然用意しておかなければならない駒でした。 斜陽する業界の技術を次代につなげる――。それは祖父・容三さんの悲願でした。
一貫生産体制で町工場の窓口に
東日本金属は曽祖父の小林剣二さんが新潟から上京し、1918(大正7)年に創業した鋳造メーカーです。窓やドアの取っ手などの建築金物で事業を軌道に乗せると、2代目の容三さんは高度経済成長の時代のヨットブームに目をつけ、船舶艤装金物をあらたなメニューに加えます。 時を前後して鋳造からプレス、板金加工、めっき加工、旋盤加工、組み立てまで行う金物の一貫生産体制を築きます。高齢化する業界の受け皿になった格好でした。 まだまだ意気軒昂な同業者とは連携を図ります。町工場の窓口として受注する体制を整えた結果、多様化するニーズに柔軟に対応できるようになりました。協力工場は現在もおよそ30あります。 地盤を固めた東日本金属を飛躍させたのが、父で3代目の謙一さん。金物メーカーで修業を積んだ謙一さんは品質向上と取引先の拡大を推し進めます。 その成果が、歴史的建造物の改修工事でした。