「なんとなく将来が不安」をなくすために、「40字以内で言語化」が必要といえる納得の理由
意味を間違って読み取らないために【主語を書く】
文章には必ず主語を入れてください。主語がないと、文章の意味がわかりづらくなるので、読み直したときに本来意図していない意味でとらえてしまうことがあります。 もっとも、主語の多くは「私」であるかもしれませんし、自分さえわかればいいのですから、「私」は省略しても大丈夫です。 主語を明確にする必要がある場合、つまり、自分以外の読み手の存在が想定され、かつ、自分以外のヒト・モノ・コトについて書く際は、必ず主語を書いておきましょう。 たとえば、「そうじをしても、すぐに部屋が汚れてしまう」と書いた場合。ひとり暮らしで、そうじをするのも部屋を汚してしまうのも「自分」であれば、主語を追記する必要はありません。 しかし、そうではない場合、たとえば部屋を汚すのが、「自分なのか」「夫なのか」「妻なのか」「子どもなのか」「ペットなのか」によって解決策が異なってくる場合があります。そのため、主語が必要となるのです。 同様に、たとえば、ビジネスに関するテーマで、「ニーズがわからない」と書いた場合。それが「誰の何に」関するニーズであるのか、は明記しておきましょう。 「お客様のニーズがわからない」「取引先のニーズがわからない」、はたまた「時代のニーズがわからない」など、「自分が何をわからないと思っているのか」、それらをそれぞれ書き出していくのです
「わかったつもり」がなくなる文末のコツ【体言止めにしない】
体言止めとは、文を体言で終わらせる表現で、主に名詞で終わっている状態のことです。「わかったつもり」を失くすためには、体言止めで終わる文章は禁止です。 では、どのような文章を書けばいいのでしょうか。 一番シンプルにお伝えすると、文末に「です」、あるいは「だ」などを付けてほしいのです。 「そんなにこだわること?」と疑問に思ったかもしれません。これらを付けたところで意味に変わりはないじゃないか。そう思うのも無理はありません。 しかし、このように並べてみるといかがでしょうか。 ・体言止めとは、名詞で終わっている状態のことですか。 ・体言止めとは、名詞で終わっている状態のことではない。 ・体言止めとは、名詞で終わっている状態のことかもしれない。 そうです、日本語は文末まできちんと書かれていないと本来は意味が理解できないのです。 最後まで書くことで「肯定文なのか?」「疑問文なのか?」「否定文なのか?」が、はじめてわかるのです。文末を割愛する体言止めは、文章としてわかりづらいだけでなく、意味を誤認してしまう可能性が高いのです。だからこそ、体言止めを禁止して、意図をあいまいにしない効果を狙います。