遠藤航がリヴァプールで不可欠な存在になるまで。恩師が導いた2つのターニングポイントと原点
アーセナル、マンチェスター・シティとともにイングランド・プレミアリーグの熾烈な優勝争いを繰り広げるリヴァプールで、中盤に欠かせない存在となった遠藤航。3月に北朝鮮代表との北中米ワールドカップ・アジア2次予選を戦うために帰国した際には、代表のチームメートから異口同音に試合を「見ていたよ」と声をかけられるなど、その影響力は絶大だ。31歳の遠藤が、名門リヴァプールでアンカーのファーストチョイスになった原点とは? 湘南ベルマーレ時代の恩師の記憶とともに、2つのターニングポイントをひも解く。 (文=藤江直人、写真=AP/アフロ)
湘南で頭角を現した19歳のDF。7ゴールでJ1復帰の原動力に
プレミアリーグの名門リヴァプールでアンカー、森保ジャパンではボランチと中盤の守備的なポジションで代役の利かない存在感を放つ遠藤航は、日本代表の第一歩を意外なポジションで刻んでいる。 ハリルジャパン時代の2015年8月に中国・武漢で開催された東アジアカップ。A代表に初めて招集された当時22歳の遠藤は、北朝鮮代表との初戦で右サイドバックとしてデビュー。開始3分のMF武藤雄樹の先制ゴールを正確なクロスでアシストした。 続く韓国代表戦でも右サイドバックを務めた遠藤は、中国代表との最終戦では山口蛍とダブルボランチを形成。全3戦で先発フル出場を果たしたマルチなタレントぶりは、当時所属していた湘南ベルマーレで歩んできたキャリアと密接にリンクしている。 横浜市立南戸塚中学から湘南ベルマーレU-18に進んだ遠藤は、2010シーズンに2種登録されてJ1リーグ戦で6試合に出場。トップチームに昇格した2011シーズンは、18歳ながら堂々のレギュラーとしてJ2リーグで34試合に出場。ポジションは4人で組む最終ラインのセンターバックだった。 当時の湘南を率いた反町康治監督(前・日本サッカー協会技術委員長)は、遠藤をこう評価していた。 「最終ラインからボールを動かせるし、身長は低いけれどもヘディングも強い」 身長178cmの遠藤がいま現在も空中戦において強さを発揮できる理由は、アカデミー時代から次のプレーを予測して、ポジショニングを事前に修正する能力に長けていたからに他ならない。 翌2012シーズンにヘッドコーチから昇格した曺貴裁監督(現・京都サンガF.C.監督)は、3バックを選択する。19歳の遠藤を真ん中に配置しただけでなく、キャプテンのMF坂本絋司(現・湘南代表取締役社長)が出場しないときはゲームキャプテンを任せ、さらにPKキッカーにも指名した。 最終ラインをけん引しながら、チーム2位タイの7ゴールを決めた遠藤は4つをPKでマーク。湘南も最終節で2位に食い込み、3シーズンぶりのJ1復帰を決めた。