不定期に起こる強い拒絶反応。虐待の後遺症に悩まされていた時「君を治せる」と断言する大学生に出会った
◆ホテルの一室ではじまった“治療” 医師免許はおろか、心理士やカウンセラーの資格もない「心理学部に通う大学生」が、トラウマを抱える患者を「治療する」。 この危うさに、賢明な人ならすぐさま気づくだろう。長年の知識と経験を積み重ねた医師でさえ、複雑性PTSDの根治は難しいと語る。だが、それを「治せる」と言ってしまえるSの愚かさに、私は気づけなかった。 後遺症による精神の不安定さから、仕事が長続きしない私は、慢性的な貧困を抱えていた。病院に行く金もなく、処方された眠剤はすでに底を尽いていた。Sは、「大学でいくらでも手に入る」と言い、会うたびに安定剤をくれた(当然ながら、これは彼の虚言であるし、本当ならば犯罪である)。 Sが無造作にテーブルに置く薬。私はそれを大切なもののように、一つひとつ水色の封筒に入れた。100円均一で買った水色の便箋セットは、私のお気に入りだった。
◆信じるな。引き返せ Sは、そんな私に「全部は入れないで」と言った。「なぜ」と聞くと、「治療に使うから」と応えた。安定剤を飲むと、大抵眠くなってしまう。そんな状態で治療が可能なのかと尋ねると、「意識が明瞭ではないほうが、治療がうまくいく」と彼は言った。 彼の指示通り、私はいくつかの薬を飲み、ベッドに横たわった。治療はいつも、私の自室ではなくラブホテルの一室で行われた。私の部屋に、ベッドはない。部屋代はSが出してくれた。大学生の彼のほうが、社会人である私よりお金に困った様子がない。そのことを、私はひっそりと妬んだ。 彼の指示で、お湯に薬を溶かして飲み込むのが苦痛だった。安定剤を溶かした液体は、総じて苦い。後味の悪さに顔をしかめる私に、彼はいつも飴玉をくれた。飴玉をもらうことに、かすかな拒絶を覚えた。 当時は、その理由がわからず混乱した。のちに、耐え難い屈辱を受けた後、相手からお菓子を渡された記憶を取り戻した。その経験ゆえ、私は彼から飴玉を受け取るたびに虫唾が走ったのだと思う。もしくは、単に本能が警笛を鳴らしていたのかもしれない。信じるな。引き返せ、と。