与論城跡、国指定史跡へ 最北端の大型琉球式グスク跡 文化審議会が文科大臣に答申
国の文化審議会(島谷弘幸会長)は20日、鹿児島県与論町の「与論城跡(じょうあと)」を国史跡に指定するよう文部科学大臣に答申した。官報告示を経て正式指定となる。答申通り指定されれば、県内の国史跡としては34件目。奄美からは2023年3月指定の「奄美大島要塞(ようさい)跡」(瀬戸内町)に次いで9件目となる。与論城跡は14世紀前半~中頃築造の最北端の大型琉球式グスク跡で、「当時の南方社会の実態を知る上でも重要」と評価された。 同日開かれた国の文化審議会文化財分科会の審議、議決を経て答申された。県内史跡ではこのほか、「塚崎古墳群」(肝付町)の追加指定が答申された。 与論町教育委員会によると、与論城跡は、琉球国山北王の三男王舅(おうしゃん)が築城したとする説と、琉球国第二尚氏王統の尚真王の頃の人物とされる花城真三郎(はなぐすくまさぶろう)が築城したとする説が地域の伝承や昭和初期にまとめられた家系図上の伝承から伝わるが、文献的な裏付けは困難な状況。王舅の築城説では未完成、花城真三郎の築城説では完成したとされているが、詳細は不明だ。
20年度から22年度にかけて行った発掘調査では、城を造る際の盛土工事の様子や石垣の構造、建物の柱跡を確認。出土した焼き物の年代や柱跡を埋めた土の科学分析から、14世紀前半から築城が始まり、14世紀後半~15世紀中頃に主に利用されていたことが分かったという。 城跡の面積は約3万平方メートル。沖縄本島以外でのグスクでは最大規模で、本土系の城郭遺跡の影響が強い奄美諸島北部からではなく、沖縄本島北部に分布する石積みを有する大型グスクの影響を受けたと考えられている。 国指定史跡の答申について、田畑克夫町長は「国としても守るべき文化財であるという評価を受け、大変うれしく思う。与論城跡がさらに地域住民から愛され、島外の人にも島の歴史を感じてもらえる遺跡となるよう、引き続き文化財の保存、振興のための各種施策に取り組んでいきたい」とコメントした。