残間里江子73歳「すべては自分の責任なんだと生きていれば、何とかご機嫌でいられる。ゆっくり、ヨタヨタでも、人生を自分のペースで黙々と歩いて」
40年来の盟友、残間里江子さんと吉永みち子さん。コロナ下で会えなくなって以来3年ぶりの再会だそう。73歳の今も現役でご活躍されるお二人の、最近の暮らしぶりは(構成=丸山あかね 撮影=藤澤靖子) 【写真】残間さんがご機嫌でいられる秘訣は * * * * * * * ◆想像力を備えて先手必勝といこう! 残間 みっちゃんって、怖がりなとこあるよね。 吉永 私は父が60、母が40の時の子で、小学校4年の時に父が死に、小学校6年の時に母が死にそうになった。そんな頃から、たとえば民生委員の人と、孤児になった時の受け入れ先とかを相談したりしていたから、不安要素を察知して対策を考える癖がついた。 父の死後は、私が夫で母が妻みたいな関係性が生まれたの。母が経済的な不安まで訴えてくるものだから、中学からずっとバイトして。母の精神の安定のために米櫃を満タンにすることばかり考えていてね。とにかく安心のために備えておかなければ、という思考がしみついてる。 残間 私も幼い頃は極貧生活だったけど、母は自分もお金に困っているのに人に振る舞ってしまうような性分で、それでもなんとかなるんだなぁと思ってた。社会人になってからは親に仕送りするようになったり、子どもを育てるためにもお金を稼がなくちゃ、とあくせくした経験があったりするから、困らない程度に蓄えておかないと不安だというのはあるけどね。 吉永 子どもたちは私のことを不死身だと思ってる節があるけど(笑)、実のところ臆病で弱いのよ。
残間 私も息子に、「私は鉄人じゃないからね」と言ったことがある(笑)。山あり谷ありの人生を、惑いながらもここまで生きてきたんだもの。改めて考えてみると、いろいろなことがあったな。 吉永 お母さんの介護をしていた時期もあったよね。 残間 最後は施設に入所したけど、なんだかんだで15年間。 吉永 15年も!うちの母は旅先で突然死したので、私は介護の経験がないの。だからことさら思うのかもしれないけど、子どもたちに自分の介護をさせるのは可哀想というか、まず自分たちのことで手一杯で無理だと思う。パンクでもされたらこっちの悩みが増えちゃうから、具合が悪くても言わないの。 残間 わかるわかる。 吉永 最後まで子どもの世話にはならない。ならばどうするのかと算段して、着々と計画を実行に移しておく必要があるけどね。 残間 どんな計画? 吉永 ボケてゴミ捨てができなくなったら、施設に入ると決めてるの。でもできるだけ長く家にいたいから、働けるうちは働いて、自分の食いぶちは自分で稼ぐ。体力維持に励むのも、今の暮らしを続けるための活動の一環だね。 残間 想像力を備えて、先手必勝でいきたいところよね。 吉永 とはいえ、人生はギャンブルみたいなものだから。 残間 元祖女性競馬記者がいうのだから間違いないね。(笑) 吉永 だって100通りの未来図を想定していても、想定外の101通り目のことが起こるのが人生じゃない?それでも100通り考えてれば少しは応用が効く、かもしれない。 残間 そもそも私は一人で生きていけるように働く道を選んだのだし、若い頃に「一人で生きていきます」と宣言しちゃったから、今さら後には引けないわ。