そこには「バラ色の未来」があるはずだった…「憧れのニュータウン」が老人ばかりの斜陽の街になった根本原因
■モータリゼーションの進行に対応できなかった 高齢になると足腰が弱り、エレベーターがないと階段を上り下りできなくなります。しかしニュータウンは数十年後の住民生活などは考えずに設計されていました。 多くのニュータウンは丘陵地帯を切り開いているので、坂や階段が多く、自転車では不便です。バスが使えればいいのですが、歩車分離が徹底されており、団地の外側を走る幹線道路にしかバス停がありません。 ニュータウンには歩いていける商店街が設けられていましたが、そうした商店街の多くは自動車社会の流れに合わず、シャッター通り化していきました。歩車分離を優先してロードサイドの出店を制限したため、コンビニやスーパーも出店できず、商店街閉鎖後、住民が買い物をする先がなくなってしまったニュータウンも少なくありません。住民が定年で都心に通わなくなってしまったため、駅までのバスの本数も減り、タクシーを拾うのも難しくなっています。 足がないため病院への通院も大変で、一人暮らし高齢者の孤独死も増えています。賃貸でも分譲でも状況は同じです。 子供が戻らない代わりに別な若い世代が入ってくるかというと、それもあまりありません。また、すでに入居している高齢者が住まいを替えたがらず、出ていかないという問題もあります。 時代が下るにつれ日本の住環境も改善されて、憧れであったニュータウンの団地も、若い世代の希望には達しない水準となっています。 ニュータウン登場以降、食事の場所と寝室、子供部屋を分ける間取りや、水洗トイレを備えた住まいは、日本の家の新たな標準となりました。 設備の目新しさがなくなると、「駅から遠い」「狭い」「エレベーターがない」「駐車場が少ない」といった問題点が気になってきます。 一方、ニュータウンの集合住宅の中でも、後期に開発された100m2 以上の物件は人気となっており、やはり面積の狭さは子育て世代にとって大きな問題であることがわかります。 初期の団地の街や建物が画一的で魅力に欠けていたことも、若い入居者が集まらない原因になりました。 そして、古い集合住宅が若い世代に受け入れられない最大の要因として、モータリゼーションの進行で、90年代に交通手段と消費の場所がドラスティックに変わったことが挙げられます。 一般には65年から70年にかけての「いざなぎ景気」でモータリゼーションが起きたと言われていますが、実際には70年時点の日本の乗用車保有台数は727万台と、人口の6%しかありません。70年代の少年漫画『ドラえもん』などを見ても、庶民の家に自家用車があるようには描かれていません。漫画で庶民の家に自動車が出てくるのは、90年代の『クレヨンしんちゃん』あたりからです。 これには理由があります。日本の自家用車保有台数はバブル末期から急速に伸びたのです。89年には日本全体で3000万台程度だったのが、11年後の2000年には5000万台を超え、2022年には約6100万台です。 よくメディアで伝えられる「クルマ離れ」というのはウソで、10年間で自家用車数が2000万台を超えた90年代こそ日本が本格的なモータリゼーションを迎えた時代でした。 さらに日米貿易摩擦を解消すべく、大店法に代わり大規模小売店舗立地法が施行され、郊外店舗の出店がたやすくなりました。バブル期の地価高騰期に首都圏や京阪神郊外にファミリー層が移住したこともあり、90年代半ばから2000年代にかけて、自動車でアクセスする郊外型店舗とコンビニエンスストアが一気に普及します。 かくして日本人の消費の中心は、駅もしくは自宅の徒歩圏内から、車で行けるコンビニや郊外の専門店、ショッピングモールへ移りました。現在の国内小売業ランキングはコンビニとモールとドラッグストアなど郊外型業態が上位を占めています。 60年代から70年代に設計されたニュータウンは、自動車社会に対応した都市設計になっていませんでした。多摩ニュータウンも千里ニュータウンも、鉄道駅はありますが、全体面積が広大なので、住居の多くが駅から2キロ以上離れています。駅が徒歩圏内でないのに、初期の集合住宅には十分な駐車場もなく、車を持つのが難しい。現代の子育て世代には敬遠されてしまうわけです。