オープンスカイ締結が30か国 6年で急速に進んだ「空の自由化」
昨年、日本に来た外国人は1973万人を超え、その勢いはとどまることを知りません。昨年を上回るペースで、今年も訪日外国人観光客は増えています。安倍晋三首相も観光産業を成長戦略の一つに位置付け、訪日外国人観光客の増加に力を入れています。 そうした国際化が進む中、5月26日には日本とカンボジアの間で「オープンスカイ協定」を発効しています。これまで、日本は29の国や地域とオープンスカイ協定を結んでいます。カンボジアは、記念すべき30番目の国および地域になりました。
「羽田を除く」という制限は残る
オープンスカイ協定とは、国際線の路線や便数運賃などの規制を撤廃して自由化すること。協定が発効されると、合意した国・地域の間では原則的に航空会社が自由に路線を設定できるようになるのです。オープンスカイが推進される理由は、何なのでしょうか? 「もともと、二国間で航空協定を締結していないと、国際線の定期便を開設することはできません。航空協定では、乗り入れる航空会社や便数などが細かく規定されています。そのため、航空会社が○○空港に路線を開設したいと考えていても、希望通りに路線を開設できないケースがありました。こうした制限を設けていたのは、外国の航空会社が自由に路線を開設してしまうと、自国の航空会社の経営が立ち行かなくなる可能性があるからです。自国の航空会社を保護するためにも、航空協定で制限をかけていたのです。しかし、時代が変わり、航空会社にも競争が求められるようになりました。そうした背景から、オープンスカイが推進されたのです」(国土交通省航空局航空交渉室) 日本が初めてオープンスカイ協定を結んだのは、2010(平成22)年10月です。当時からアメリカはオープンスカイを唱えており、空の自由化を積極的に推進していました。そうしたアメリカとの間で、日本は初めてオープンスカイを締結したのです。 その後、日本は同年12月に韓国と、2011(平成23)年に台湾、香港、マカオと協定を締結。2012(平成24)年になるとオープンスカイの流れは加速し、1月にイギリス、7月にフランス、8月に中国など次々にオープンスカイ協定を結びました。 わずか6年で、オープンスカイは急拡大しました。しかし、オープンスカイ協定には「羽田を除く」という制限が残っています。まだ、完全に自由化されているわけではないのです。