決意、迷い、失望、充実感―五輪に挑んだ21歳の卓球エース、コメントから垣間見えた心の内
パリ五輪の卓球男子、団体戦準決勝での出来事だった。自らの敗戦でチームの敗北が決まると、張本智和(21)はコートに膝をつき、立ち上がれなかった。 【写真】「見苦しい」と非難が殺到… 傷つく選手たち、つらさ訴え発信 「負の連鎖を呼んでいる」と指摘も
試合後には憔悴しきった様子でインタビューに応じた。そして、ある強い言葉で追い詰められた心境を明かした。それは、大会にかける「覚悟」の裏返しの表現でもあった。 張本は3種目に出場。いずれもメダルを手にすることはできなかった。ただ、大会を終えるときにはその口調はすがすがしささえ感じさせるものに変化していた 張本のコメントは試合ごとにトーンが変わった。五輪にかける決意、失望、迷い、そして充実感。彼の紡いだ言葉をたどり、エースの重責を担った21歳の戦いを振りかえる。(共同通信=浅田佳奈子) ▽勝利へのこだわり 「内容よりも結果が求められるのが五輪だと思う。勝つことが全て」。張本は東京五輪に続く2度目の大舞台にこんな決意で臨んだ。勝負へのこだわりはずっと持ち続けてきたものだ。 幼い頃から負けず嫌いだった。幼稚園の年長で腕試しに受けたテストの点数は6割ほど。家に帰り「分かるようになりたい」と号泣した。小学校に上がるとテストや宿題はほぼ満点。「100点を取らなきゃ意味がない」との思いで、幼い頃から結果にこだわった。
もちろん卓球でも常に勝利を目指し、年代別の全国大会を6連覇。10代前半で国内外の数々の最年少優勝記録を更新し、一躍世界のトップ選手に名を連ねた。 張本家の家訓は「一に健康、二に勉強、三が卓球」。早稲田大人間科学部通信教育過程に進学後も、国内外での試合や練習の合間に勉強を欠かさず、落とした単位はゼロ。「勉強で考える力を養えたことが卓球に生きている」と文武両道が躍進を促してきた。 ▽混合ダブルス 負けを引きずらない 五輪の重みを初めて知ったのは、18歳で挑んだ3年前の東京大会だった。活躍が期待されたシングルスは序盤で敗退。団体で銅メダルをつかんだが、日本勢初の金メダルを混合ダブルスで獲得した水谷隼(35)、2大会連続で団体メダルに貢献した丹羽孝希(29)のベテラン2人に引っ張られた結果だった。 東京大会後、水谷は引退、丹羽は国際大会から退き、張本がエースの看板を背負ってきた。追われる立場になると、重圧から格下選手に敗れる試合も目立った。苦しみながら20代を迎えた。