「ヤバい…戦力外が近づいている」阪神1年目に激ヤセ8kg減、脱臼の絶望…元阪神・北條史也が語る“後悔”「僕は大谷翔平にも藤浪晋太郎にも聞けなかった」
「バキッ…」呪われた背番号2
北條の成長曲線が鈍ったのは6年目のシーズン終盤、三遊間よりの打球に飛び込み、左肩を脱臼したことがきっかけだった。 「もう、音がすごかったですね。バキッみたいな」 骨が外れただけでなく、その周囲の筋肉も大きな損傷を負った。そのとき、鳥谷の忠告が蘇った。 「2番はやめとけ。タイガースのケガ番号やろ」 ひとつ前に2番を付けていた城島は晩年、相次ぐ故障に悩まされていた。なにしろ過去、背番号2はなかなか1人の選手の背中に定着しなかった。最長は1950年から56年まで背負っていた投手の藤村隆男の7年だった。 北條はその藤村を超える8年間、2番とともにプレーした。 「縁起悪いんですよ、2番は。僕のあと、梅野隆太郎さんが(2021年から)付けて、2年後、ケガしてるんです。優勝争いの終盤に。あの人、ぜんぜんケガとかなかったのに。仕方ないケガだったんですけど、呪われてますよね」 左肩を故障したことで北條の上半身の動きは均衡を失った。守備中は悪送球が増え、バッティングにおいても微妙な感覚のズレが生じるようになる。また、いつ再び肩が外れるかわからないという恐怖が北條から思い切りのいいプレーを奪った。 翌2019年はうまくごまかしながらプレーできたが、翌々年、試合出場数が40試合まで減り、成績は打率.192、ホームラン2本とがくんと落ちた。 その年のオフ、球団から背番号変更の提案を受け、北條は素直に26番をつけた。 「ケガは2番のせいだろうか、変えた方がいいのかなと思っていたところだったので」
「僕は人に聞けなかった…」最大の後悔
2021年1月、北條は藁にもすがる思いで、高校の6学年先輩である坂本勇人(巨人)を頼った。合同自主トレに参加させて欲しいと願い出たのだ。 「もう、ほんまにやばいと思ったんで。坂本さんは知識が深いんです。たとえば打つとき体が開いていたら、普通の人は開かないように打つだけ。でも、坂本さんはどうなっているから体が開くかわかっているので、練習の中で打つ方向を決めてみるとか、いくつも引き出しを持っているんです」 合同自主トレ中は、共同で借りていたコンドミニアムで生活した。坂本は暇さえあればYouTubeで野球の動画を眺めていた。北條がうなる。 「他の選手は休憩時間は寝たりしているのに、あの人は野球のことばっかり考えている。あれだけの成績を残しても、まだまだ、こうしたいとか、ああしたいとか向上心がある。一流になる人はそういうところがすごい。上には上がいるのに、この状態を維持しようでは成長はそこで止まっちゃいますよね。もっと早く聞いておけばよかったですね。最近ですから。人に聞けるようになったの。それまではがむしゃらにただやっていただけなので」 それをプライドと呼ぶのかどうかはわからなかったが、人に意見を求めることは弱い自分をさらけ出すことであり、弱い自分を見せてしまったら負けだと思っていた。 だが、違った。人に意見を聞くことは自分をしなやかに、そしてより強靱にするための行為だった。
【関連記事】
- 【つづきを読む/#4へ】「お前はもう無理や。諦めろ」戦力外通告の電話、金本知憲は言った…北條史也が明かす“同学年”大谷翔平、藤浪晋太郎への本音「鈴木誠也がいちばん可哀想」
- 【前回を読む/#1へ】大谷翔平でも藤浪晋太郎でもない…元阪神・北條史也30歳が驚いた“大谷世代の天才”「小学生で160cm…スゴ過ぎた」恩師も証言「あの坂本勇人より上だった」
- 【前回を読む/#2へ】巨人関係者「君をドラフト2位で指名する」発言も…まさかの“阪神入団”、北條史也のパニック「わけわからん…」「藤浪晋太郎と一緒か」ドラフトウラ話
- 【レア写真】「超貴重…藤浪&北條が地元の成人式で豪華2ショット」「まるでモデル…藤浪さんの足が長過ぎる」藤浪晋太郎、北條史也、大谷翔平の初々しい高校時代から現在まで一気に見る
- 【消えた天才】大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」