「ヤバい…戦力外が近づいている」阪神1年目に激ヤセ8kg減、脱臼の絶望…元阪神・北條史也が語る“後悔”「僕は大谷翔平にも藤浪晋太郎にも聞けなかった」
藤浪は「別格」、大谷は「別」
ただし、その時点で藤浪晋太郎には大きく水をあけられていた。藤浪は1年目に10勝、2年目に11勝、3年目に14勝を挙げ、わずか3年で1億7000万円(推定)に達していた。 「やっぱりすげえなと思いましたね」 藤浪が制球力に少しずつ苦しみ始めるのは4年目以降の話である。 一方、もう1人の怪物同級生である大谷翔平は二刀流と呼ばれる前人未到の領域に踏み入り、オセロの石を黒から白に変えるかのように次々と「不可能」を「可能」にひっくり返していた。 1年目こそ3勝、ホームラン3本だったが、2年目は11勝、10本。3年目は15勝、5本。そして4年目は10勝、22本とアンタッチャブルな記録をさらに更新し、チームを日本一に導いた。 北條は大谷に対して何らかの感情を抱くことを放棄しているようにも見えた。 「だから、もう、別。別に見ちゃっていたというか」 藤浪は「別格」だが、大谷は「別」。もはや表現する言葉が見当たらないようだった。 4年目の6月12日、北條と投手・大谷は、実に4年振りに対戦した。場所は札幌ドームだった。1打席目は161kmの速球をとらえて一塁ライナー、2打席目は一塁ファウルフライに仕留められた。この日の対戦は2打席にとどまった。 北條の記憶は希薄だった。 「あのときはやばかったですね。163kmとか出してたんです。だから、ファーストライナーの打席は投げ始めたときに、もう適当に振りに行ったという感じです。形も何もない、ぐちゃぐちゃでいった。そうしたら、バットの先っちょに当たって、勝手に一塁方向にいったんです。弱いライナーやったと思います。その打席しか覚えてないです」 もはや大谷はとても同じ土俵にいる選手には思えなかった。 ネット等で北條の年俸の上下は容易に調べることができる。北條にその年の年俸は記者に公表するものなのかと問うた。 「公表はしないですけど、だいたい当ててくるんです。誤差はありますけど、記者もそこはプロなので。億までいくとわからないですけど、僕ぐらいの年俸だと当てやすいんですよ」 ――ピークは7年目の2800万? 「まあ、そうですね。大きく外れてはいない。でも、成績的にはそこまでですね。そこから2年で1000万くらいダウンしているので」 報道によれば8年目は2200万円、9年目は1900万円だったようだ。
【関連記事】
- 【つづきを読む/#4へ】「お前はもう無理や。諦めろ」戦力外通告の電話、金本知憲は言った…北條史也が明かす“同学年”大谷翔平、藤浪晋太郎への本音「鈴木誠也がいちばん可哀想」
- 【前回を読む/#1へ】大谷翔平でも藤浪晋太郎でもない…元阪神・北條史也30歳が驚いた“大谷世代の天才”「小学生で160cm…スゴ過ぎた」恩師も証言「あの坂本勇人より上だった」
- 【前回を読む/#2へ】巨人関係者「君をドラフト2位で指名する」発言も…まさかの“阪神入団”、北條史也のパニック「わけわからん…」「藤浪晋太郎と一緒か」ドラフトウラ話
- 【レア写真】「超貴重…藤浪&北條が地元の成人式で豪華2ショット」「まるでモデル…藤浪さんの足が長過ぎる」藤浪晋太郎、北條史也、大谷翔平の初々しい高校時代から現在まで一気に見る
- 【消えた天才】大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”は何者か「彼の剛速球で捕手が骨折」「仙台育英に進学」