イブラヒム・マーロフが語る、戦争で破壊されたレバノン文化を祝福するファンファーレ
父が発明したクォータートーン・トランペットを受け継ぐ背景
―新作『Trumpets of Michel-Ange』はどんなコンセプトで作られたんでしょうか? イブラヒム・マーロフ(以下、IM):僕のアルバムはいろんなレイヤーが折り重なってできているから、一つのストーリーで構成されているわけじゃない。敢えて新作を要約するなら「僕に影響を与えてくれた父と祖父へのトリビュート」かな。彼らのおかげで僕はミュージシャンとして今ここにいる。それから、祖先から受け継いできたものを僕なりに解釈して新しいサウンドを生みだして、後世へと手渡していく。僕らの文化を次世代へ繋いでいく意味も込められている。先祖代々受け継がれてきた文化はどこからやってきたのか、文化を尊重しつつ僕なりにどう表現するか、次の世代へと受け渡す責任。それがこのアルバムだよ。 ―祖先から受け継いだものを次の世代へと受け継いでいくコンセプトと、すごく不思議なタイトルにはどのような繋がりがあるのでしょうか? IM:そのタイトルは一つのストーリーに由来している。僕の父は、23歳でクラシック音楽のトランペット奏者になることを胸に渡仏した。その当時、誰もが知っているトランペット奏者、モーリス・アンドレの元で学びたいと父は思っていたんだ。当時、世界各国から有名なトランペット奏者が彼の元で学ぼうとパリに集結していて、父もその一人だった。ただ、フランスに着いたはいいものの、彼はフランス語ができなかったし、すごく貧乏で十分なお金もない。フランスの事情はもちろん、正しいトランペットの吹き方さえ知らなかった。そんな状況で、彼は7年間フランスで過ごしたんだ。 長い月日を経て、父はフランス語を習得し、当時最も難関と言われていたパリ国立高等音楽院に入学した。念願のモーリス・アンドレのクラスで学び、ちゃんと卒業したんだ。父はその7年間、血眼で勉強して、練習した。父はフランスに着いた当初、パリのノートルダム大聖堂のそばにある小さな教会、サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会の中にシェルターを見つけたらしい。トランペットを学んでいる間、そこでクォータートーン・トランペットの構想を始めたそうだ。その話における父は、まるでシスティーナ礼拝堂で描き始めたミケランジェロを思い起こさせた。 それで、僕がクォータートーン・トランペットの新ブランドとインターナショナルアカデミーを立ち上げる時、”TRUMPETS OF MICHEL ANGE”(T.O.M.A.)と名付けたんだ。それがこのアルバムのコンセプトを構想し始めたタイミングだった。子供の頃からずっとミケランジェロのイメージが染み付いていて、父の偉才と発明へのトリビュートとしてミケランジェロを掲げるのがいいと思ったんだ。 ―まさしく、あなたの父がクォータートーン・トランペットを発明したわけですよね。そもそもあなたの父はどんな目的で、どんな野心を掲げてトランペットを作ったんでしょうか? IM:ああ、僕の人生で一番印象に残っているエピソードがある。アルバムカバーって見てくれたかな? ―はい、もちろん。 IM:あれって実は昔のファンファーレの写真なんだ。僕の故郷、レバノンのファンファーレで、1935年に撮られた写真。つまり、およそ1世紀前のものだよ。祖父も写ってる。 ―へー! IM:幼い頃から、父は村のファンファーレを聴いて育ってきた。でも、そのファンファーレはいつもどこかおかしかったらしい。そもそも、レバノンにとってファンファーレはフランスの委任統治下の遺産で、フランスの委任統治下時代にいろんなものが持ち込まれた。金管楽器もその一つ。その頃から金管楽器が演奏されはじめたけど、実際のところ、誰一人として正しい演奏方法を知らなかった。フランス人は楽器を与えたものの、演奏方法を教えはしなかったんだ。 それもあって、村人たちがレバノンのメロディでファンファーレを演奏しようとすると、いつもおかしなサウンドになってしまう。だから父はファンファーレを聴く度にこう言っていた、「彼らは演奏方法を知らないんだ」ってね。それは父をフランスに向かわせた一つの理由でもあったんだろう。実際、フランスでトランペットの仕組みを学んでようやく、父はなぜ彼らがクォータートーンを出せなかったのか理解した。その理由は、演奏方法を知らなかったんじゃなくて不可能だったんだ。レバノンや中東文化の音楽にはクォータートーンが使われていて、金管楽器でクォータートーンを出すことがそもそもできなかった。 そこで、トランペットでクォータートーンを演奏する方法として、4つのバルブを持ったトランペットのアイディアを考えはじめた(※通常のトランペットは3つ)。つまり、祖父たちのおかしな演奏を聴いて育った父は、フランスに飛び立ち、それはテクニックの問題じゃなく、トランペットでクォータートーンを演奏すること自体が不可能だという事実を理解した。すべてはそんな出来事から始まったんだ。 ―それはすごい話ですね。クォータートーンに近づけるのではなく、はたまた諦めてクォータートーンが出せる別の楽器に持ち替えるのでもなく、あくまでトランペットで鳴らそうとした。それは大事なポイントですよね。 IM:そうだね。僕はどちらかというとルールに従うタイプで、ルールに従って何かを学ぶのは、一番正当で手っ取り早い方法だと思ってる。でも、中にはそういった道理から逸れていく人たちもいる。いわゆる天才と呼ばれる類の人たち。ひねりがあって、一般的なものの見方をしない。父はまさにそのタイプだった。付け加えておくと、決して学びに敬意を示していないというわけじゃない。彼はフランスで学んだすべてのこと、特にモーリス・アンドレから学んだことを大切にしていた。ただ、彼はいつもそこから何かを発展させようとしていた。クォータートーン・トランペットの発明はまさに天才で、金管楽器のいっさいの概念を変えたといってもいい。 ―ですよね。 IM:まず一つ、彼の発明はまったく異なる二つの文化、アラブと西洋、西と東の文化を結ぶ立派な架け橋となったこと。二つ目に、中東で唯一すべてのキーのアラビックスケールを演奏できる生楽器を作ったこと。例えば、少しテクニックが必要な中東のリュート、ウード、それからシタールのような楽器やカーヌーンは、アラビックスケールは演奏できるけど、すべてのキーは弾けない。このクォータートーン・トランペットだけがすべてのキーを演奏できるんだ。これはアラブ世界にとってすばらしい革命だよ。異なるレベルやキーでスケールを演奏できるって、むしろ全世界的な発明かもしれない。