46歳で「司法試験合格」を目指した作家が7年の時を経て合格するまでの「苦悩」のすべて
ひとつの成功体験
数年で合格できると踏んでいたのに実際には7年もかかったから、誤算はあった。それでも、心の奥底では「やれば、必ず合格できる」という確信に近いものを抱いていた。 これには高校受験の成功体験が関係している。中学3年の進路相談のときだ。第一志望に、自宅から歩いて5分程度の進学校を伝えると、担任からはあっさりと「難しいですね」と言われてしまった。勉強をさぼっていた中学2年の成績がひどかったためだ。自分でも無理だろうと思っていたくせに、他人から言われると火がついた。 突如、私は人が変わったかのように猛勉強し始めた。すると、成績はうなぎのぼりとなった。当時通っていた公立中学はマンモス校で一学年に600名あまりの生徒がいたが、3学期はじめの学力試験では学年で2番に躍り出た。そして、そのままの勢いで第一希望の高校に合格することができたのだ。 〈なんだ、やればできるんだ。〉 このとき掴んだ感覚が私の中にはあった。 私は勉強面ではあまり期待されて育てられなかった。時代は昭和である。小さいころから折に触れて「女の子だから」といわれ、まわりの大人からは「お嫁さん」「お母さん」の未来を当然のように期待された。「将来何になりたい?」という問いは、私には年子の兄ほどは投げかけられなかった。だけど、もし、子どものころから勉強や社会での活躍も期待され、自分の努力がみのる環境さえあれば、どこでも希望する大学には入れたはずだ。 高校に合格したときはこんなふうに感じたし、いまに続いている。
平井 美帆(ノンフィクション作家)