大きく行動しなければ自分を変えられないと思っていた――鞘師里保がニューヨークで過ごした日々 #今つらいあなたへ
心が折れたら折れっぱなしでいいや
幼少のころから広島アクターズスクールに通い、歌とダンスを学んだ。デビューのために上京したのは12歳。 「ちいちゃかったですよね(笑)。本当に最初は、『やった~、東京だあ!』という感じで、夢がかなったと、希望に満ちあふれていました。大好きだったグループに入ってキラキラした大きなステージに立ち、好きな曲を歌い、たくさんの人がそれを見てくれて……幸せでした。でもやっぱり、仕事に費やす時間が長くなって、家族と過ごせる時間が少なくなるにつれて、さみしさを感じることもありました」 アイドルとしての自分と、思春期真っただ中の自分。注目されるほどにプレッシャーも大きくなって、心に不協和音が響いた。 「人生経験が浅いところに、SNSでは心ないことをたくさん言われて、それが本当の世論だと思い込んでしまったことも。褒め言葉よりも、ネガティブな言葉ばかりが入ってきちゃう。調子が悪くなると声が出なくなって、『もう今日はライブに出たくない』ってだだをこねてた日もあったみたいです。後から言われて、思い出すんですけど。リハーサルでは『今日は声が出るかな、緊張する、緊張する、出ない!』みたいな毎日。グループには5年間在籍していましたが、結局、ほぼずっとそんな状態でした」
モーニング娘。では、はじめから大きな期待を受け、自信に満ちているように見えたが、そんな葛藤を抱えながら踏ん張っていたという。 「早くからたくさんの人々に囲まれたことで、『大人って、意外と大人じゃないんだな』という気づきもあって。大人が言うことが全部正しいとは限らないし、いろいろ迷いながら、時には翻弄されたりもして、大人も学びながら人生を進んでいるんだということを知りました。本当に信じられる大人とは、どういう人なのかを見極めなければ、という視点を持つようにもなりました」 数年の間、日本の芸能界から距離を置いたが、それは単純な「充電」や「自己研鑽」が目的ではなかった。当時、鞘師の心はすっかり折れていたのだという。 「もう、心が折れたら折れっぱなしでいいや、静かに生きていきたい、と思っていました」