No.19 平良響/ITOCHU ENEX TEAM IMPUL「来年以降も出たいという気持ちが強くなった」 | 全日本スーパーフォーミュラ 第8戦・第9戦 第23回JAF鈴鹿グランプリ
── さらに、参戦しないときもチームには帯同していたとか?
平良:はい。自分が出場しない、(第5戦)もてぎと(第6&7戦)富士でも帯同させてほしいとチームの方にもお願いしました。ニック(デ・フリース)選手の走りを横から見ていたんですが、僕も一緒にチームの雰囲気に慣れるとことができました。元F1ドライバーのニック選手は、そのコメント力だったりレースにかける思いが“こんな感じなんだ!”というくらい、すごくインパクトがありました。例えば、彼が走ったことのないもてぎでコースウォークしているとき、走ったことのある僕だったり(チームメイトの)国本(雄資)選手に、かなりしつこく聞いてくるという印象でした。SFで走ったことのない僕にも聞いてくるなんて……っていう感じでしたね。
── 富士は事前の公式テストを含めてのレース参戦で、周回数を重ねることができました。一方、期間が開いた鈴鹿では、勝手知ったるコースとはいえ、初のSF走行。金曜日の専有走行はどんな手応えでしたか?
平良:まず、スピード感に慣れるのにちょっと時間がかかりました。特にS字区間は非常にスピードが速くて。ひとつ前の鈴鹿のレースが(10月5、6日開催の)86ワンメイク(GR86/BRZ Cup)だったので、1周あたり多分1分弱ぐらい速いのかな?(笑) そのタイム差もあって、前に走った鈴鹿と全然違うと思いました。でも周回を重ねるごとにすぐ慣れることができて、それ以降はスピード感に慣れるっていう(ことに気を遣う)ことはなかったです。
── 今大会では、予選、決勝を1日で行なうため、慌ただしく時間が過ぎたと思います。エンジニアとのコミュニケーションはうまく取れましたか?
平良:はい。大駅(俊臣)エンジニアとはもう常にコミュニケーションを取ってたんですが、やっぱりクルマを良くしていくなかで、“これぞ”というものが見つからなくて……。予選はちょっと下位に沈んでしまいました。方向性は見つかったものの、これぞというポイントを見つけられてなかったことが、ちょっと苦戦した原因かなと思います。