おニャン子クラブからマイケル・ジャクソンまで、1980年代を席巻したブランド「SAILORS(セーラーズ)」を振り返る
1980年代、当時社会現象にもなった大人気アイドルグループ“おニャン子クラブ”が着ていた水兵がトレードマークのブランドとして、「SAILORS(セーラーズ)」を記憶している人も多いのではないだろうか。
渋谷のわずか9坪のショップで年商28億円を記録したという伝説のお話を、株式会社セーラーズ 代表取締役 三浦 静加(みうら しずか)さんに伺った。
19歳で起業、日芸裏の江古田の店舗
SAILORS誕生の前には、その前進となるショップがあったという。 このショップなくして、あのSAILORSの1980年代の伝説はなかったといってもいいだろう。ブランドのルーツでもあり、三浦さんの歴史でもあるこの時代のお話から聞いていこう。
「週に何度か東京 江古田にお花を習いに通っていて、日芸(日本大学芸術学部)の裏手にある、いつも閉まっている5坪ぐらいの物件がずっと気になっていました。 親戚がアメ横でジーパン屋をやっていたので、そこからジーパンを仕入れて、その物件でお店を開いたのが最初のきっかけです。私が高校を卒業して3ヶ月が経った19歳のころでした」
下北沢の古道具屋で見つけた水兵の看板
「店名は『HUDSON JAPAN(ハドソン ジャパン)』といって、『Lee(リー)』、『Levi's(リーバイス)』、『Wrangler(ラングラー)』などのジーパンを売っていたのですが、最初はなかなかうまくいかなかったですね。それでも頑張って続けていました。
アメリカに買い付けにも行って、当時はADIDAS(アディダス)の『Tobacco(タバコ)』とかUCLA(ユーシーエルエー)の生協でキャップやジョギングパンツなんかを買い付けてくるとよく売れました。そんな感じでお店を続けるなかで、26歳のとき、たまたま下北沢の古道具屋さんである看板を見つけて。水兵の絵と“SAILORS”の文字がかわいいなと思って、お店のディスプレイで飾ってみました。 土地柄、日芸の学生さんがけっこう来てくれていて、みんなその看板を見て『かわいい、かわいい』って言ってくれて、そのうち『この絵のトレーナーを作ったらいいじゃないですか』なんていう取引先のメーカーさんも出てきて、それでその絵を見ながら自分でイラストを描いてトレーナーを作りました。 当時の最低ロットがきっと50枚ぐらいだったと思います。そのころ、自分のお店で1アイテム50枚なんて売ったことはなかったのですが、発売してみたら1週間も経たないうちに全部売れてしまって。ファッション雑誌『JJ(ジェイジェイ)』もよくそのトレーナーを載せてくれるようになって、評判になっていきました」