JAXAを退職する若田光一宇宙飛行士が記者会見 今後は民間から宇宙開発に貢献
■若田光一宇宙飛行士のこれまでの歩み
1963年に埼玉県で生まれた若田さんは1989年に日本航空へ入社し、その3年後の1992年に宇宙開発事業団(NASDA・当時)の宇宙飛行士候補として選抜されました。若田さんが選抜された頃は国際宇宙ステーション(ISS)の建設開始を数年後に控えた時期で、日本の宇宙飛行士候補募集もISSに取り付けられる日本実験棟「きぼう」の組み立てと運用を見据えての実施でした。 1993年にNASAからスペースシャトルのミッションスペシャリストとして認定を受けた若田さんは、1996年1月に実施されたNASAの「STS-72」ミッションで最初の宇宙飛行を行いました。このミッションで若田さんは日本人初のミッションスペシャリストを務め、前年(1995年)3月に打ち上げられていた日本の実験衛星「宇宙実験・観測フリーフライヤ(SFU)」の回収作業におけるロボットアーム(カナダアーム)の操作などに従事しています。
4年後の2000年10月にはNASAの「STS-92」ミッションで再びスペースシャトルに搭乗した若田さんは、日本人として初めてISSの建設作業に参加。ISSの姿勢を制御するコントロールモーメントジャイロ(CMG)や通信アンテナが取り付けられている「Z1トラス」と、宇宙船のドッキングポートとなる与圧結合アダプター「PMA-3」の取り付け作業を行いました。 その9年後、若田さんは3回目の宇宙飛行にて日本人初のISS長期滞在を実施しました。2009年3月に実施されたNASAの「STS-119」ミッションでISSに到着した若田さんは、巨大な太陽電池アレイを備えたISS右舷の「S6トラス」取り付け作業を支援。STS-119のスペースシャトル帰還後もそのままISSに滞在し、2009年7月の「STS-127」ミッションでスペースシャトルが運んだ「きぼう」船外実験プラットフォームの取り付けなどを行いました。最終段階の組み立て作業を行い「きぼう」の完成に立ち会った若田さんは、STS-127のスペースシャトルに搭乗して地球に帰還しました。