南こうせつ「70歳で大きな家からコンパクトな平屋に建て替えて。今後は、先だった仲間の分まで頑張る。声が出なくなったら、キーを3つ下げた『神田川』も味わい深いのでは」
◆人生を生ききるのが僕の生き方 皆さんもご存じのとおり、僕は30年以上、大分で暮らしてきました。東京を離れたのは、ソロになった26歳のとき。子どもたちを自然のなかで育てたいと思って、7年ほど富士山の見える河口湖のそばに住んだんですが、とにかく寒くてねえ。家庭菜園で野菜をつくろうにも、1年に2ヵ月くらいしか収穫できる期間がない(笑)。 朝起きたら窓から海が見えて、気持ちのいい風が吹き抜ける暖かな場所を探し求めてたどり着いたのが、大分の国東半島です。 僕は根っから自然が好き。音楽も自然みたいなものだと思っている。東京は仕事をするにはいいところだけど、なんだろう、住むところじゃなかったんだな。 もちろん家を建てたときは若さもあって、ハリウッドスターに負けてたまるか! とばかりに大きな家にしたんです。3000坪弱の土地に、ガラス張りの真っ白な家。別棟にアトリエまで作って。 でも還暦を迎えた頃には、なんか飽きたな、老後に暮らす家としては広すぎるよね、と思うようになりました。しかも、それをズルズルと先延ばしにしてしまった。70でようやく平屋のコンパクトな家に建て替えたのですが、こんなに大変なことはないっていうくらい大変でした。 何が大変って、一番はモノを処分すること。象徴的な例をひとつ挙げるなら、Tシャツです。この仕事をしているとTシャツがとんでもない数になるんですが、300枚を1枚ずつ手にとって「これはあのコンサートのときの……」なんて立ち往生。執着心との闘いですから、進むわけがない。(笑) ただね、そのときは思い切っていろいろなものを処分しましたが、これからは無理して処分するのはやめようと思っています。買いたいものがあれば買う、行きたいところがあれば行く。 煩悩があるがゆえに人は成長してきたのだし、いくつになっても欲は生きる原動力になりますよ。執着を抱きしめて、人生楽しもうって思うようになりました。
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