南こうせつ「70歳で大きな家からコンパクトな平屋に建て替えて。今後は、先だった仲間の分まで頑張る。声が出なくなったら、キーを3つ下げた『神田川』も味わい深いのでは」
コンサート中心の活動に加え、「音楽も自然みたいなもの」と自然豊かな地で暮らすのが南こうせつさんのスタイルだ。ライフワークでもある野外イベント「サマーピクニック」がまもなく最後を迎える。いまの思いを聞いた(構成:丸山あかね 撮影:洞澤佐智子) 【写真】自宅の敷地は自然豊か * * * * * * * ◆先立った仲間の分まで こうしてお話ししているいまは、デビュー55周年記念コンサートの真っただ中です。 僕はわりと順風満帆に歌手生活を歩んできたと思われがちなんですが、たとえばかぐや姫を解散してソロ活動を開始したらレコードの売り上げは落ちるわ、コンサートのお客さんは減るわで、僕なりに落ち込んだこともありました。 ただ不思議なものでね、しばらくすると持ち直す。そして再び低迷期がやってくる。流行と時代背景は密接な関係にありますから、求められる音や音楽のありようが変化するのは当然のこと。誰だって、浮き沈みの激しい世界で不安の波を幾度も乗り越えながらいまがあるのです。 人って苦しいと迷走するんですよねえ。僕にしても20代、30代のころは「神田川」を封印したり、フォークにテレビ出演は似合わない、と頑なに拒んだりしたこともありました。
いまなら、「神田川」は僕にとってかけがえのない曲だと素直に言えます。コンサートでもお約束の一曲ですから、イントロが流れると会場が沸きます。待ってました! とばかりにね。 「神田川を聞くと元気になる」と言っていただくことが多いけど、それはきっと皆さんの心の奥底にある、穢れのない愛に出会える歌だからなんじゃないかなあ。人としての普遍的なテーマが流れているからだろう、と思います。 僕はずっと、未来に向かって発信していくのがフォークだと信じて歌ってきました。それがフォークの役割だという思いもあった。でもいまは、フォークを歌って聞いて、過去を懐かしむ気持ちが明日を生きる薬になるはず、と思いながら歌っています。 青春時代の歌を聞けば、あの日懸命に張り切っていた自分だとかかつての恋だとかを思い出して、心が弾む。これが大事なんですよ。だから過去を振り返る、懐かしむという行為は決して後ろ向きなことじゃない。素晴らしいことだと思っています。 懐かしい人との思い出も財産ですよね。「神田川」の作詞家である喜多條忠(まこと)さんをはじめ同世代の仲間が相次いで鬼籍に入り、僕はいまものすごく寂しい。 だから先日、武田鉄矢さんと会ったとき、「歩けなくなってもギター一本で歌うんだ。先立った仲間の分まで頑張ろう」と励まし合ったばかりなんです。彼らと過ごした時間は、かけがえのない財産ですから。 それに時の力はすごいもので、若い頃はバチバチのライバルみたいだった人も、いつしか戦友と化していきましたね。音楽性について熱く語り合っていた相手とも、もっぱら健康談義(笑)。それが楽しいんだから、いいんですよ。
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