「親の言う通りに育った子ども」は人生の責任をとれずに苦しんでいる
過食症にならなくてもよかった
大学に行けなくなった学生の主訴は過食症だった。アドラーは神経症は心の中の病気というよりは、「相手役」がいる、つまり誰かに向けられたものであり、その相手役との関係の中で症状が必要だと考える。 症状はその意味で必要なので、症状だけを除去してしまうと、「神経症者は、驚くべき速やかさで症状をなくし、一瞬の躊躇もなしに、新しい症状を身につける」(『人生の意味の心理学』)とアドラーはいっている。 そこで、彼女を取り巻く対人関係に焦点を当てて話を聞いていたら、はたして母親の話が出てきた。過食症の目的は何だったのか。他のことであれば彼女はどんなことでも親のいうことを聞いていた。 実際、学校を休んではいけない、学校に行くようにといわれた時、学校には行かなかったが、親にいわれた通り家を出た。しかし、本当は親の言いなりにはなりたくなかった。そこで、親といえどもこの私の体重だけはコントロールさせまい、そう考えて、過食症になったのである。 しかし、子どもは学校を休むことを親に反対されたからといって、過食症になる必要はない。若い人の話を聞いていていつも気の毒に思うのは、親に反発するために、自分だけが不利益になったり(学校に行かなければ困るのは本人である)、自分の身体を痛めつけたりすることである。このような仕方で親に反発する子どもは、なお親に依存している。 親は子どもの様子を見て心配にならないはずはない。もうあなたの好きに生きなさいと親にいってほしいのかもしれないが、それなら自分がどう生きるかは自分で決めればいいだけであり、親の気持ちを揺さぶる必要はない。 彼女はどうすればよかったのだろうか。親にはっきりと「今日は学校に行かない」といえばよかったのである。もちろん、親は子どもに休んではいけないといい、子どもが自分のいうことを聞かないことに驚き怒るかもしれないが、それは親が自分で何とかするしかない。
岸見一郎(哲学者)