始まりは「拾った松ぼっくり」 消えた7万本の松…高田松原の再生へ【東日本大震災13年の“あれから”】
岩手県・陸前高田市の高田松原。かつては、“白砂青松”とたたえられ、毎年夏には多くの海水浴客でにぎわっていました。ただ、美しい景観を作り出していた7万本もの松の木は、あの日の津波で1本だけを残し、消えてしまいました。 【映像で見る】すくすく伸び始めた松 美しい砂浜をもう一度 あの美しさはもう戻ってはこない―――。あきらめた人たちが、松原の再生に立ち上がったきっかけは、震災前に拾った「松ぼっくり」でした。約4万本の植樹が終わった2021年夏、砂浜の工事も終わり、ようやく初めての海開きを迎えました。 2024年のいま、問題となっているのは、つる性植物のクズが繁殖し、松の生育に悪影響を及ぼしていること。つるが絡まった松はクズの葉に覆われて、光合成ができずに枯れてしまったものも…。
■たたえられた「白砂青松」 かけがえのない場所
2022年3月、鈴木善久さんは「高田松原は、やっぱり一番思い出になる場所だ」とかみしめるように話しました。 高田松原を守る会・鈴木善久さん 「親と一緒にここに来て遊んだり、小学校のときに遠足に来て潮干がりとか海水浴したりね」 「白砂青松」と称えられた高田松原。陸前高田のひとたちにとってかけがえのない場所でした。
■大津波から街を守り…残ったのは“一本”だけ
350年前に植えられた約7万本の松の木は美しい景観をつくるとともに潮風からまちを守ってきました。あの日、松林は、大津波から街を守る最初の堤防となりました。しかし、途方もない力に一本だけを残し流されてしまいました。 鈴木さん 「震災で、私たちが立っているこの地面も海になってしまった」
■始まりは「拾った松ぼっくり」から
あの美しさはもう戻ってはこない―――。そうあきらめていた鈴木さんのもとに、偶然、震災前に高田松原で拾った松ぼっくりを届けてくれた女性がいました。 鈴木さんは「ああ、この種を育てて松原を再生したい」と動き出します。 震災の翌年から、市内の畑を使って松ぼっくりの種から苗木を育て始めました。弱々しい15センチほどの松の赤ちゃん。高田松原の再生へ。 新たなスタートでした。 鈴木さん(当時67歳) 「立派な高田松原が再生していけるように頑張っていきたい。そういう気持ちでいっぱいなんです」