凶兆であるハレー彗星の到来は、本当に時代を変えるのか
「ノストラダムスの大予言」や「ハレー彗星」など、何かしらの転換期が訪れることを示唆するものがある。こうした「予言」は、時代の節目とどう関係しているのだろうか。 私の家には奴隷がいた… 罵られ、殴られても、一家に仕え続けたフィリピン女性 ※本記事は『文明探偵の冒険 今は時代の節目なのか』(神里達博)の抜粋です。
予言が時代を作ることはない
過去の記録を渉猟してみると、未来の一点において「時代の節目」がやってくるとの予言が広がることで、ある種の「騒ぎ」が起こることがある。 しかし、たいていの場合は、そのときだけのものであって、「Xデー」が過ぎてしまえば、いつの間にかそういう「予定」があったことすらも人々は忘れてしまうものがほとんどだ。普通は時代の節目を生じさせるまでには至らない。 占星術においては、希に出現する「悪い天体の配置」が将来のカタストロフを予兆するものとして、時折、週刊誌的な話題になることがある。「グランドクロス」や「惑星直列」といった言葉を聞いたことがある人もいるかもしれない。しかし当然ながら、何か現実的な影響が明確に観察された例はない。 2000年ごろは、そういう「予言」の事例がいくつか見られた。なにせ単なる規約上のできごととはいえ、千年に一度のイベントなのだから、その種のことが好きな人が反応するのも、無理もないことかもしれないが。 ミレニアム関連の予言で最も有名なのは、いわゆる「ノストラダムスの大予言」であろう。ルポライターの五島勉氏の最初の著作が出たのはオイルショック最中の1973年。 それから定期的に出版された同シリーズは、ルネサンス期のフランスに活躍したノストラダムスという──いやフランス人なのだから「ノートルダム」と表記するのが一般的だろうが──医師の名を、極東の島国で著しく有名にした。 私が子供の頃は、「1999年に世界は滅びるから、それまで楽しく暮らせばいいんだ」などという刹那主義的な人生観を披露する輩がクラスに一人くらいはいたものだ。彼は今どうしているのだろう。唯一の「希望」が絶たれてから、かなりの時が経過しているが。 以上は占術的な予言の類であり、普通の意味で「観察可能な現象」はそもそも起こらないと考えてよい。しかし古くから、天文学的な知識に基づく予測、たとえば、日蝕や月蝕のタイミングを予言することは行われてきた。 これらは誰もが確認できる現象なので、予言を行う者の権威を強化する方向に働く場合もあっただろう。ただそれによって「時代の節目」が生じるほどの社会現象が引き起こされたという例は、やはり聞かない。 また彗星の中には周期的に地球に接近するものがあり、予測性があることから、それを時代の節目と捉える場合もあったかもしれない。有名なものとして、約80年に一度やってくるハレー彗星がある。これは、凶兆として恐れられてきた。 だがこれも、実際に天空に出現した帚星の姿が、ビジュアル的に不気味だったことで人心が惑わされたのであって、出現時期についての予測力とはあまり関係がなかったと考えられる。またそのような人心の乱れが、時代の節目の直接の原因にまでなったとはいえないだろう。 一点、やや例外的なのは、1910年の出現である。この時、科学的には、彗星の尾にシアン化合物が含まれていることがすでに知られていたのだが、それによって地球上の生物は皆、中毒死するとか、地球の空気が失われる、といった噂が世界中に広まった。 その結果、酸素を蓄えるために自転車のチューブを買い込んだり、呼吸停止の訓練をする者、また享楽的になって財産を失う者、さらには自殺する者も出るなど、各地で大きな混乱が生じた。 占星術の予言であれば、これほどの騒ぎにはならなかっただろうし、またもう少し科学的な知識があれば、それはそれで混乱は沈静化しただろう。中途半端な科学的知識は、できごとの信憑を高めながらも、観察結果は予測できないという、「生焼け」の状態をもたらす(最近はやりの「DNA診断サービス」もどこか似ていないだろうか?)。 また制度化されたメディアがあったからこそ、そのような話が世界的に広がったという事実も無視できない。メディアと科学の発達が、かえって迷信を強化した例として捉えることができるのだ。 以上のように、占星術などに基づく予言や、暦における数字上のイベント、また日蝕・月蝕・彗星の接近などの予測は、それら自身は現実社会にほとんど影響を及ぼさない。 要するに、のっぺりとした退屈な時間の流れにアクセントをつけてくれる、「恐ろしいけれども、ちょっとわくわくするイベント」なのだ。それによって人心が乱れることは若干あったとしても、「時代の節目」が現実に生じることは、基本的にはありえないと見なしてよい。 しかし何事にも例外はある。「ミレニアムが来る」というメッセージに対して過剰に反応した結果、それが現実の大きな事件につながり、実際に「時代の節目」になってしまった、あるいはなりそうになった、というケースを紹介しよう。(続く) レビューを確認する 第3回では、日本で起きた大事件によってもたらされた、一つの時代の節目を振り返る。
Tatsuhiro Kamisato