「名古屋いいとこだよ、めっちゃ好き」 食堂の名物おかみ、実はガンビア総領事
「政府の人からは『いつもあなたに感謝してます』なんて言われたり、外務大臣から誕生日のメッセージが来たりするけど言葉だけ。お金支援してよ、ちゃんとした大使館つくってよ」 夕食のドモダを食べながらボヤく。文句を言いながらも、なんだかんだとキッチリ仕事をこなし、人の世話を焼く。そんな人柄に母国も甘えているのだろうと思う。 「貯金なくなっちゃったし、何度も辞めようと思ったよ。でもやっぱり、日本とガンビアつながってほしいからね。せっかくがんばってきたし、辞めたらもったいないよね」 アフリカの女はがんばり屋なの、と笑う。
人生の半分以上、30年を日本で過ごしてきた。この国で生まれ育った娘と息子はもう立派な社会人で、神奈川と大阪で働いている。すっかり日本になじんでいるようにも見えるビントゥさんだが、日本に来たばかりの頃は、アフリカ人というだけで怖がられたり、笑われたりもした。 「帰りたいって思って、ずっと泣いてた」
それでも必死に日本語を学び、日本社会を知ろうとした。 「こっちで子供が生まれたんだけど、日本しか知らずに育ったの。ガンビアに帰ったら子供たちはむしろ外国人。だから帰るにも帰れなかったし」 言葉を覚え、当初暮らしていた繁華街の栄にもなじみ、少しずつ居心地が良くなってきた。持ち前のエネルギーで英語を教え、レストランを始め、だんだんと「名古屋のおばちゃん」と化していくうちに、人柄に惹かれたガンビア人や、そのほかのアフリカ人も、そして日本人も、ビントゥさんのまわりに集まるようになる。 「もともとガンビアでは大家族でね。家族の面倒を見る、誰かの世話をするのが当たり前で、人が喜ぶのを見るのが好きだったの」 だから持ちかけられる相談ごとをあれこれこなしているうちに、ついつい名誉総領事まで引き受けてしまったというわけだ。 いまでは母国よりも長い、住み慣れた名古屋だ。 「名古屋の人はね、最初はちょっとカタい。控えめ。でも最初だけ。慣れるとフレンドリー。名古屋いいとこだよ、めっちゃ好き」 そう笑う名誉総領事はこれからも、きっとがんばってしまうのだろう。日本人に、もっとガンビアという国をアピールしたい、コロナが収まったらぜひ来てほしい。そう願っている。 「せっかくいい国だからね、日本人にも知ってほしい」 --- 室橋裕和(むろはし・ひろかず) 1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。帰国後はアジア専門の記者・編集者として活動。取材テーマは「アジアに生きる日本人、日本に生きるアジア人」。現在は日本最大の多国籍タウン、新大久保に暮らす。おもな著書は『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』(辰巳出版)、『日本の異国 在日外国人の知られざる日常』(晶文社)、『バンコクドリーム 「Gダイアリー」編集部青春記』(イースト・プレス)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書、共編著)など。