「名古屋いいとこだよ、めっちゃ好き」 食堂の名物おかみ、実はガンビア総領事
現地を視察したいという日本人ビジネスマンに同行したのは2011年のことだ。ガンビア国内を走り回り、どうにか日本企業進出の足がかりを、と思ってツテをたどっていると、なんと大統領の弟がつかまった。 「大統領から直接、電話をもらったこともあるよ。私、舞い上がっちゃって」 こうして政府高官とつながったビントゥさんは日本に戻ってからも「大使館を開設して」と関係者に訴え続けたが、ガンビア政府が動いたのは2015年。大使館や領事館をつくる経済的な余裕はないが、そんなに言うならあなたがやりなさい、とビントゥさんを指名。セネガル大使館や日本の外務省とも調整し、ビントゥさんを正式に名誉総領事に任命したのだった。 ところが、である。 「ぜんぶボランティアでやってる。お金もうない」 なんて嘆くのだ。領事の仕事にも経費はあれこれとかかるが、母国はちっとも払ってくれず、例えば国際会議で東京に行くときのホテル代も自腹、交通費も自腹で「新幹線よりバスのほうが安いかなあ」なんて悩む始末。だから名誉総領事館として借りていた物件を維持するのも大変で、コロナ禍でオンライン対応が中心になったため、いったん閉鎖した。 「領事の仕事はこの店の2階でやったり、自宅のソファでやったり」 さまよえるボランティア領事なのであった。
オリンピック選手団の受け入れにも走り回る
「ガンビア名誉総領事館(臨時)」は、北名古屋市の住宅街のど真ん中にある。ビントゥさんの自宅だ。出迎えてくれたのは、なんとレストランで会ったムサさんだった。妻の佳奈さん、そして1歳になる娘の碧望ちゃんとともに、ビントゥさん宅に同居しているのだ。さらに名古屋商科大学で学ぶガンビア人留学生も居候していて、なかなかにぎやか。ガンビア人に限らず、インターンシップの外国人を受け入れることもあるそうだ。 「ごめんね、ものいっぱいで片付けてなくて。使わないものずっと大事にしてる、日本人のおばちゃんと一緒」 なんて案内されたキッチンでiPadを広げ、「これ早く返信せんといかん……」と名古屋弁でつぶやきながら、外交関連のメールに目を落とす。母国とは時差があるため、日本にいるビントゥさんは夜中の2時3時まで働くこともざらだ。