<“さまよえる天才”レオナルド・ダ・ヴィンチ>時代におさまらない異才の宿命と、〈大洪水〉の幻に包まれた晩景
終の棲家に運び込んだ『モナ・リザ』
レオナルドはその後、獅子の自動人形とともに出迎えたフランス王フランソワ1世の絆を頼ってフランス中部のロワール河に沿った古都、アンボワーズという異郷で4年ほどの余生を送ったのち、67歳で生涯を閉じる。 1516年末、フランソワ1世に招かれて、64歳のレオナルドは真冬のアルプスを越えて、アンボアーズ郊外のクルー城に着いた。伴ったのは若い日から師事するサライとメルツィという二人の弟子だけだった。 終の棲家となったクルー城には、自作の絵画を3点だけ運びこんだ。『洗礼者ヨハネ』と『聖アンナ』、そしてあのフィレンツェの裕福な絹商人、フェルナンド・デル・ジョコンドの妻、ジョコンダをモデルに描いたという肖像画の『モナ・リザ』である。 4年半の歳月を費やしながら、ついに未完成のままだったこの名画に画家が神さびた技量と深い愛着をどれほど傾けたのか。モデルのモナ・リザが大変美しかったので、レオナルドは描いている間、楽器を弾き、歌い、道化を演じる助手を傍において、楽しい雰囲気を作って絵筆をとり続けたという挿話が伝えられている。 しかし「スフマート」と呼ばれる暈かしの技法を用いた画面のモナ・リザの微笑するくちもとや眼差しに、どこか両性具有的な抽象性と実在のモデルから隔てられた非現実感が漂っていることを、観者は認めなくてはなるまい。この微笑の背後にはおそらく、モナ・リザのなかに潜在する男性、さらにいえば画家のレオナルド自身がいるのである。 このことは同じ同時代の女性の肖像画、例えばミラノ公スフォルツァの愛妾を描いた『白貂を抱く婦人』の透き通った美しさと較べてみれば、相違は一目して明らかであろう。 『モナ・リザ』のモデルの微笑の謎をめぐっては、それこそ汗牛充棟の論議が今日まで繰り返されてきたが、もちろん決定的に説得力をもつ解釈はいまだにない。 ここでは19世紀の英国の批評家、ウォルター・ペイターが「子供の時以来、彼の夢の織物のなかに混ざってきた理想の婦人像」としたこの絵の分析を手がかりに、彼のなかに生き続けた〈母〉という偶像をこの肖像画からよびおこしてみるべきかもしれない。 それならば、再びフロイト先生の登場を仰ごう。 〈レオナルドがモナ・リザの微笑に捉えられたのは、この微笑が、年来彼の心の中に仮睡していたもの、おそらくはある古い記憶を、よび醒ましたためであるかもしれないのである。この記憶は、一度それが呼び醒まされたのちは、二度と彼を離さぬほどに重要なものであった。彼はそれに繰り返し新しい表現を与えざるを得なかった。ペイターの確言、モナ・リザのそれのような顔立ちがいかに幼児期以来の彼の夢の織物のなかに混入しているかを追究することができるという確信は、信じうべきもののように思われるし、また言葉通り受け止められてしかるべきである〉(前掲書、高橋義孝訳) 現在、レオナルドが自分自身を描いた肖像画が一点だけ残されている。 ミラノを離れてローマに居住していた1513年頃、紙に赤チョークで描いた作品で、このとき彼はすでに62歳になっていた。 伸びるに任せた髭と皴に緩んだ眼元には、若い日の美しく快活な万能の俊才の面影はない。浮かび上がるのは、夢を追い続けた日々への老年の悔恨だろうか。 〈人の世の美しきもの、すぎてとどまらず。労苦は去る。ほとんど目に見えない名声を抱えて〉 レオナルドはそう記した。 彼が最晩年に憑かれたように描いたのは、世界の終末を思わせるような、夥しい洪水のイメージの素描だった。 〈「大洪水」の区分。暗黒。風。海上の時化、洪水、山火事、雨、天からの電光、地震と山崩れ、市街の壊滅。水や木の枝や人間を空高くさらってゆく旋風。風のまにまにもつれ合い、風に葉を毟り取られた枝。上には人々がのっている。人々をのせたまま、折れた木。暗礁に衝突して微塵に砕けた舟‥‥〉(『手記』) 故郷フィレンツェは輝きを失い、見知らぬロワール河の畔に寄る辺ない晩景が広がっている。レオナルドはその川面に文明の終末を告げる大洪水の幻影を探っていた―。
柴崎信三