「暴力を振るわれることもある」...「兄貴」が語ったホームレス福祉の現状とは?
福祉施設に協力してホームレスたちの生活・健康調査を行ったり、孤独死した老人のアパートの片づけをしたりしている謎の男性に、在日中国人ジャーナリストの趙海成氏が出会った。連載ルポ第10話
※ルポ第9話:冬の寒さ、夏の暑さ、亡くなる時、欲求不満解消...ホームレス生活のリアリティー より続く 日本でのホームレス生活に必要なすべてのものが写っている写真 今回からの主人公は「兄貴」になる。まず、彼と知り合ったきっかけと最初に話し合ったことを語りたい。 2年前のある日、私は息子を連れて荒川河畔に遊びに行った。そして私たちは鉄道橋のそばの河川敷で、椅子に座っている老人に出会った。彼は景色を眺めていたのだと思う。 私は彼に挨拶し、こう尋ねた。 「ここにお住まいですか」 「以前はここに住んでいましたが、8年前に赤羽駅のそばのアパートに引っ越しました。でも道具を入れたテントはまだここにあります」と、彼は微笑みながら答えてくれた。 「普段、お兄さんは何をなさっているんですか」と私は続けて聞いた。 「私は今、区役所所属の施設に協力して、定期的にこの辺りに住んでいる人たち(ホームレスのこと)を訪ねて彼らの健康状態を調べ、施設に報告しています。体調が悪化し、生活が自立できない人たちを福祉施設に送ることが目的です。施設の費用は国が負担します。私はこれまでに10数人のホームレスを手伝って引っ越させました。今ここに残っている5人(桂さんと斉藤さん〔共に仮名〕を含む)は後から引っ越してきたので、まだ施設に入るつもりはないみたいですね」 この自己紹介を聞いて、私はすぐにこの「兄貴」に興味を持った。そして、彼の平凡とは程遠い人生経験とホームレスに関する話を聞かせてもらうことになった。 私は彼を「お兄さん」(兄貴)と呼んだが、私より年上だろうと判断してそうしたわけだ。後で分かったことだが、実は彼は私より1つ年下だった。そうは言っても、この連載では彼を「兄貴」と呼び続けることにしよう。 これが「兄貴」という呼び名の由来である。
ホームレスが施設に行きたくなかったらどうするか
兄貴は私に、ホームレスに関する多くの情報をもたらしてくれた。例えば、東京都北区役所や国土交通省がホームレス福祉に何億円も使っているとか、現在、福祉施設に入居しているホームレスは路上生活のホームレスよりずっと少ないといった話だ。 ホームレス本人が施設に行きたくなかったらどうするのか、と兄貴に聞いた。 斉藤さんも桂さんも、今は施設に入りたくないと言っていたのを思い出したからだ。 斉藤さんは、自分が施設に行ったら、桂さん一人をここに残すことになって心配だと言った。桂さんは、今はスマートな生き方をしていて、福祉施設に入ることを全く考えていないと言った。施設に入っても、そこでの集団生活に慣れず、ホームレスの生活に戻った人もいるのだという。 兄貴はこう説明してくれた。福祉施設に行きたくない人や施設に入っても出てしまう人は確かにいるが、政府はこのような人に対しては何もできず、彼らが望む生活を続けるのを放任するしかない。 ただし、全体として言えば、福祉施設に入居したいホームレスは多く、むしろ施設のベッドが足りない状態だという。 要するに「僧が多く粥が少ない」(中国のことわざで、需要が供給を上回っていることを意味する)のため、福祉施設は介護が必要な老人や体が弱い人を優先的に受け入れるしかないのだ。兄貴の仕事で重要なのは、荒川沿いに住むホームレスの中で誰が最も施設に入居する必要があるかを調べることだ。 私はまた彼に聞いた。「あなたはどうしてこの仕事を受けたのですか」 「30年前から建設省(現国交省)の工事を請け負っていたし、福祉施設と長年付き合ってきた。私自身も放浪の経験があるので、ホームレスたちとは切っても切れない関係が続けてきたんですよ。政府はこの仕事を私に依頼してよかったと思う。もし私がやらなければ、誰も敢あえてやろうとはしないだろうし、誰でもやれることではないだろう」