紅白初出場のこっちのけんと、話題曲「はいよろこんで」が令和の若者の心を掴んだワケ
歌詞に表れる“現代の若者像”
「はいよろこんで」の時代に敏感なアプローチは歌詞にもうかがえます。今を生きる若い人たちの、なけなしの反骨心みたいなものを、絶妙にすくい取っている。 <慣らせ 君の病の町を 隠せ笑える他人のオピニオン うっちゃれ 正義の超人たちを> このフレーズからは、正論を振りかざしてくる大人たちに対する根強い反感と、それらを面従腹背でやり過ごす日常との狭間でしたたかにバランスを取って生きている世代の感情が見て取れます。これは令和に入ってから顕著になった空気感だと思います。
Ado「うっせぇわ」との共通点も
この歌詞を読んで、筆者はAdoの「うっせぇわ」に通じるものを感じました。これはこっちのけんとが意図的に借用したというよりも、時代の最大公約数的な表現として、どうしてもこうなってしまうというタイプの似方だと言えるでしょう。 <つっても私模範人間 殴ったりするのはノーセンキュー だったら言葉の銃口を その頭に突きつけて撃てば>(作詞 Syudou) 使っているワードは「うっせぇわ」の方が過激ですが、反骨心をそのままぶつけるのではなく、私達はそれを普段隠しているだけだから勘違いするなよ、と突きつける論法は共通している。表面的な物わかりのよさに騙されんじゃないぞ、という警告なのです。「はいよろこんで」は、それを乾いた笑いとともにポジティブに表現したのであって、世の中に対して訴えたいことは、ほとんど同じなのではないでしょうか。 しかし、内容が同じであることが、聞く人に安心感をもたらす面もあります。突然突飛なことを言い出すよりも、普段自分が抱えているモヤモヤを上手に突いてくれる表現の方がありがたいからです。 作詞作曲で具体的に借用するのではなく、昨今の大ヒットに共通する発想とアイデアのフォーマットを見定めた、こっちのけんとの眼力。 「はいよろこんで」は、音楽、歌詞の両面から、的確に時代の要点をわしづかみにした一曲なのです。 文/石黒隆之 【石黒隆之】 音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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