人間の「生々しすぎる」欲望かなえるロボットの実態…!「ヒトの身体を模倣して…」
いつの時代も「恋愛」というテーマは人々を魅了してきた。 しかし、その普遍性とは裏腹に、実際の恋愛を取り巻く環境変化は著しい。 【写真】「生々しい」人間の欲望 マッチングアプリの登場を皮切りに、恋愛における「スペック」重視の傾向は強まるばかりだが、すさまじい勢いでそのスペックを洗練させ続ける「ロボット」に、立ちすくむほかないのがこれからの人間かもしれない。 恋愛とは何か、愛とは何か。それは、人間の「特権」か。 ロボットが人間を「超える」とき、人間には何が残るのか――。 石黒浩『ロボットとは何か 人の心を映す鏡』、岡田美智男『〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション』に続く、現代新書〈ロボットシリーズ〉最新章の幕開けか…? 石黒研所属の気鋭のロボット学者・高橋英之氏が、根源的な問いに挑む! ロボットと考える「愛/AI」のかたち 前編
あなたはロボットよりも強く、深く他者を「愛」することはできますか?
近年、大規模言語モデルの急速な発達により、人間との自然なコミュニケーションが可能なChatGPTなどに代表される対話型人工知能技術が誕生している。どのような質問であっても、いつでも嫌がりもせずに流暢に丁寧に回答してくれる人工知能と話していると、人間同士の会話との本質的な違いが本当に存在するのか分からなくなってくる。 しばしば言及される人間とロボットの大きな違いについての意見として、「愛」のような温もりがある感情をロボットは持てないだろう、というものがある。筆者もロボットの研究をしていると、このような意見をしばしばもらい、世間の人工知能に対する強い懐疑心を感じることが多い。 先日、某有名インターネットテレビ番組にコメンテーターとして出演した際、研究成果を結集して、いつかロボットに愛をもたせてみたいと語ったら、スタジオにいたコメンテーターやゲストの人たちから、人間のような温かみがある愛を、冷たい機械の身体のロボットに持たせるのは無理でしょ、と一斉に反論するコメントを頂いた。それだけ、生身の身体にしか宿らない「愛」に対する神格化というものは世間の声としては強そうである。 そもそも愛というものは時代を超えて至高のものであると考えられてきた。 「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(コリントの信徒への手紙一13:13) この言葉はキリスト教の聖書の有名な一節である。2000年も昔に誕生した聖書においてすら、最も偉大なものは愛だとされてきたのだ。 また天才物理学者のアルベルト・アインシュタインも彼の娘に書いた手紙の中で、「現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、(中略)この宇宙的な力は愛だ」と述べている。 このように「愛」という概念は、その定義や中身の捉え方は多種多様である一方、さまざまな文化において、非常に崇高で不可侵なものであると考えられ続けてきた。 それに対して、筆者は「愛」のような「崇高な何か」は人間にしかもてない、という美しい神話に「あえて」異議を述べてみたいと考えている。 このようなかなり尖った問題意識をもつことによって、人間を人間たらしめている(人工知能では決して真似できない)特徴というものを浮き彫りにすることができるかもしれない。 特に様々な「愛」の中でも恋愛というものは様々な小説や演劇、映画などで古来魅力的に描かれてきた。 しかし実際の恋愛というのは、もっと凡庸なテンプレートに従うことが多い。外見や年収、社会的ステータスなど、分かりやすい情報にもとづき、打算や虚栄心で行われる恋愛も社会の中では少なくない。 近年は、自分と相性が良い恋人や結婚相手を、人工知能に選んでもらうサービスも流行っているらしく、人間が「愛」について機械に教えを乞う時代になりつつもある。