バイトで小笠原を満喫中 サメの巣に!? チークタイムにコマ送りで照らされた禁断の所業 話の肖像画 喜劇役者、劇団SET主宰・三宅裕司<7>
《明治大学2年生の8月、酷暑の中でバンド仲間と東京・赤羽のキャバレーで演奏のアルバイトを1カ月間、やり通した。ハードな仕事だったが、よかったことも》 【写真】水着姿でポーズをとる大学時代の三宅裕司 毎日何時間も演奏していたので、みんな楽器がうまくなりました。音楽専門の人は1日8時間とか練習するわけですから、当たり前なんですけどね。そこで翌夏、キャバレーよりもいいバイトを、と探していたら、メンバーの一人が東京湾納涼船での仕事を見つけてきたんです。 《東京湾納涼船は、2時間ほどお酒を飲んだり食事をしたりしながらクルージングする夏の東京湾の風物詩。仕事はその納涼船での演奏だった》 バイトの初日、竹芝桟橋(東京都港区)に集合して楽器を降ろし、さあ乗船となったとき、納涼船の担当者が「聞いてませんよ」と。手違いで仕事が入っていなかったんです。で、竹芝桟橋を出ていく納涼船を見送りました。それが悔しくて、小笠原諸島に渡航する船の仕事を取ってきました。 長距離航路なので船内では毎日パーティーがあり、私たちはそこでダンス音楽を演奏する。終わればおいしいものを食べられるし、部屋でトランプもできる。さらに船で知り合った人もたくさんできて…。 小笠原観光も堪能しました。父島に上陸後にすぐ、沖合にある沈没船まで泳いで帰ってきたんです。満足していたら、ガイドの人が「沈没船には絶対に泳いでいかないでください。あの辺はサメの巣ですから」と話しているではないですか。恐怖感が急に…。 《小笠原村によると、付近に生息する「シロワニ」は性格がおとなしいとされる。いろんなことがあった音楽クラブだが、入学してすぐの立ち上げは大変だった》 自分たちの音楽を追究しようと「ダンス音楽研究会」を立ち上げました。でも「軽音楽部」とは違うことを学校側に提示しなければならない。そこで「ワルツとかタンゴとかルンバとか、いろいろなテンポをきちっと守ってダンスのための演奏をするんです」として、認められたのです。 でも、やっていることは軽音楽部と同じ。レッド・ツェッペリンとか演奏したかと思うと、由紀さおりさんの「手紙」(なかにし礼作詞、川口真作曲)をロックっぽくアレンジしてみたりもしました。
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