ミートボール「おべんとクン」50年 最初は中華風肉団子 石井食品「イシイのおべんとクン ミートボール」(上)
「イシイのミートボール」は1974年の発売から50周年を迎えた。ミートボール分野では国内シェアトップのロングセラーだ。商品名の通り、弁当の定番的なおかずとして親しみ深い。しかし、石井食品の祖業はつくだ煮。どうして和食から洋食へ魚から肉へシフトしたのか。千葉県船橋市の本社を訪ねた。
石井食品、つくだ煮の工場が食品づくりの始まり
石井食品は1945年に石井毅一氏が創業した。前身は電気器具の修理工場だったという。当時は小魚が多くとれた船橋の地でつくだ煮の工場を構えたのが食品づくりの始まりだった。戦後間もない時期に小魚の栄養は貴重だっただろう。1949年に石井食品に商号を改めた。 現在に至る第2の創業期に当たるのが1970年代だ。日本発の調理済みチキンハンバーグを、大阪万国博覧会が開かれた1970年に売り出した。 「余った鶏肉の活用を、政府から求められ、創業者が米国で見たハンバーグにヒントを得て考案した」と、顧客サービス部営業企画グループの古屋由人マネージャーは当時のいきさつを明かす。 今では「国民的な弁当のおかず」とも呼べそうなミートボールより、デビューは現在の「イシイのチキンハンバーグ」に至るハンバーグのほうが早かったわけだ。高度経済成長期に進んだ洋食化が追い風になった。湯に入れてからわずか3分で食べられる手軽さは、人々の忙しさが増す中で支持を得た。 ミートボールの登場はハンバーグに4年遅れた1974年のことだ。ハンバーグのヒットを受けて、鶏肉を使った新商品を探った結果だったが、実は当初の商品は「中華風肉だんごだった。甘酢あんの中華風味付けで売り出した」(古屋氏)。現在のミートボールは洋風で味付けも甘酸っぱいトマトソースが最もポピュラーだが、デビュー当初はかなり性格の異なる商品だった。 ちょうど第2次ベビーブーム(1971~74年)が起きて、子どもが急増する時期に差し掛かっていた。小学校の運動会には弁当を持ち込むのが当たり前で、「手軽なおかずが求められていた」(古屋氏)。 当初のパッケージには今の「おべんとクン」という言葉はなかった。主に食べる子どもたちを含む消費者への調査を繰り返し、名前や味付けを練り直していった。「イシイのおべんとクン ミートボール」へとリニューアルを果たしたのは、発売から5年後の1979年だった。